先月のお話です。
ネットでガダルカナル島について調べていると、現在もガ島で戦死された方の慰霊祭があるいうことをブログ記事で知り、
4月20日(日)福岡市内にある護国神社へ【ガ島慰霊祭】に参列しました。
毎年友人達とお盆の時期に御霊祭りに行っていますが、別の機会にまた来ると思いませんでした。
私以外に参列者は4名いらっしゃいました。
社務所の待合室行くと、参列の方がガ島の話をされていたので途中から私も少しお話をすることに。
ご夫婦がいらっしゃったのですが、ガ島での戦いで生き残られた方の娘様とのことで、私の両親位の年代の方でした。
「私はガ島で生き残った祖父の孫です。初めて来ました」とお話ししていると、
「まさかお孫さんが来られるなんて嬉しいです」と喜んでくださいました。
おじいちゃんの戦記を何部か持って行ったのですが、お渡しすることができました。
また誰かに読んでもらえるのが嬉しかったです。
祖父は衛生班だったので衛生班の視点の戦記だった様です。(医療に関する業務をする兵士)
「衛生班はとても苦しい仕事でもあるんですよね」と話されていて、どういうことですか?とお話を聞くと、
負傷者を助ける仕事でもあるが、戦力にならないと判断した者を毒殺することもしなければいけなかったそうです。
一緒に戦う仲間達を毒殺するなんて想像しただけで苦しい。
幼い私は戦争の話を聞く耳を持っていなかったけれど、、それでも私に話をしてくれてありがとうと思いました。
今私がこの慰霊祭にいるのはおじいちゃんが話していてくれていたからです。
子供のうちは嫌ごとでも、もしかしたら何か大人になると考えが変わることもあるかもしれないので、ガ島の戦いについては息子にも少しお話ししています。
もう一人の参列者の方から、「お孫さんが来られるとはよほどいいご家族だったんだと思いますよ」と私の目を見て真っ直ぐ言ってくださった方がいました。言葉をいただいて涙があふれてきました。
今はひとり親なので思い描いていた家庭とは違い、大切にしてくれた家族達にも申し訳ない気持ちや、心のしこりが消えることがありません。
ですがその部分に届くような、日差しの様な温かい優しい言葉を頂きました。本当に嬉しかった。
↓この本は読んでみてほしいと言われていたので今注文中です。
83年前のガタルカナル島の戦いのこと。
20年前に亡くなったおじいちゃんのこと。
今の私の事。
なんだかいろんな感情が渦巻いて胸がいっぱいになりました。
慰霊祭は時間にして20分ほど。玉串を奉納しました。
昭和17年8月7日米軍に奪われたガ島の飛行場奪還作戦に約3万数千名の将兵が派遣されて、
約2万名が戦死しています。
福岡編成の第124連隊からは、約3,800名が参戦し3,179名の多くの方が戦死しています。
今ある平和は多くの犠牲の上に成り立っていることなどを思いながら。
おじいちゃんが生前毎年ここに行っていたことを思いながら参列しました。
お神酒を頂き終了です。
参列した記念品にかんぱんが入っていました。
現代っぽくそんなに固くなかったです。
かんぱんは私が小さいころいつも常備してありました。
きっと思い出深い食べ物だったんだなとまた自分の幼少期の記憶が蘇ります。
終了後はご夫婦の方から連絡先を頂き、
もしかしたら父が助けていただいたかもしれません。と来年もまた。と言ってくださり握手をしてご挨拶しました。
最後ニコニコと手を振っていた笑顔が今でも思い出せます。
行って良かったと思ったし、おじいちゃん天国で笑っている気がします。
ガ島の戦い以外でもお国の為にと命を捧げられたたくさんの命があった上でこの平和があること。厳しい戦いがあったこと。
社務所でご夫婦の方がお話しされていました。
「今戦争を経験した人達が世界の戦争を見たら何を思い、なんと言うだろうと。」
本当にそう思います。
戦争はまた世界で起こっていますが、現在は日本の至る所で毎年のように慰霊祭は行われています。
同じ失敗は二度と繰り返さないでほしいと思います。
昔はたくさんの方がこの慰霊祭に参列されていたと思います。ご家族の方を思っては痛恨極まりない、色んな気持ちがここにあったと思います。
83年たった現在は参列者が4名ということは、時間の経過を感じます。
これだけの遺族の方などがいて今私が最年少で参列できたのは何かご縁と思い、
1人でも2人でもおじいちゃんの戦記を見てもらえるように気持ちを受け継いでいきます。
そしておじいちゃんの優しさ、穏やかさ、強さなどいい所を私が受け継いでいるように今でも感じています。
いつも味方でいてくれてありがとう。
本当に幸せです。




