今日一日を生きていて、「意思には、ちょっと押すだけの僅かな力しかないんだ」、という気付きを得ました。今回はそれを得た時の生の感情、生の文章をそのまま掲載し、それを自分で説明してみる、という形式をとってみます。それでは、お楽しみください。
自動で動かし、観察する。意思の力でなんとかしようとするからおかしくなる。他人は変えられない。でも、自分も無理矢理変えようとしてはいけない。落ち着いて、落ち着いて。僕は今、焦っている。
気付いた。いちばん楽な行動をすればいい。それがどんなに理想と離れたものであっても。自分は実験対象なのだ。自動で、自然に動く自分を、観察者として外側から見る。そして、どこ変えれば良いかを考える。一日で意思を使えるのなんて限られてるんだから。何かを本当に理解した時、それは意識しない自然の行動に現れるんだから。
この文章は、何をやっても上手くいかずに落ち込んでいた時に、はっと気付いたことをそのまま書いたものです。この日の私は、早く変わりたい、自由になりたいと願うあまり、空回りしてしまっていました。
「自動で動かし、観察する」というのは、無意識の行動に身を委ねること、そしてそれを傍観者として他人事のように見るということです。この時の私は意思の力を過信するあまり、行動を意識的にしてしまい、余計に疲弊してしまっていました。
「他人は変えられない。でも、自分も無理矢理変えようとしてはいけない」というのは、自分の認識の誤りを正すために自分自身に語りかけている言葉です。私は、意思の弱い人間です。そもそも意思によって何か変わるなんて思ってないんです。でも、この時の私は意思を過信していた。焦っているとこんな単純なことにも気付けないんですね。
その後ろは大体同じようなことが繰り返し書かれています。あれこれ考えたりせず、自然な行動を心がけよう。冷静な視点に立って、ほんの少しだけ行動を変えてみよう。言葉では分かっていても、実際に行うのはとても難しいことだと改めて感じました。