ここにきてから1ヶ月が経過しました。
なんにも成長した気がしないんだけど!!!
相変わらず喋らないし、喋ったと思ったら発音悪くて伝わらないし、なんていうか、ねぇ。
日本人たくさんだからなぁ。
みんな喋れるからなぁ、私が喋れなくても生きていけてしまう環境が憎い。

って環境のせいにしているのもあほだ。
自分が自分だからしゃーないの。
自分が変わらなきゃ。

1ヶ月経ってしまったのが信じられない。
前期の授業はあと3ヶ月もないのか。
これやばい。ほんとにやばい。

もっと焦ろう、自分。

がんばろう、本当に。
ひさしぶりのあめぶろーっ。
しばらくツイッターに浮気していました。
が、なんとなーく区切りになった日なので思いがあふれ出てます。
なのでブログに書いちゃいます。

今日はサークルの壮行会がありました。
私をふくめ、留学に行くメンバーを激励してくれました。
後輩が企画してくれて準備してくれてたみたいです。
もらったものが多すぎて、どうしよっか、ほんとに嬉しいなぁ。
いい思い出です。準備してくれた人も来てくれた人もありがとうございました。

アルバムみてて、
しばらく会えてない先輩までメッセージくれて、
みんなテストで忙しいだろうのにあったかい言葉がたくさんで、
読んでて感動しちゃいました。
アメリカもっていきます、ぜったい!

先輩からの言葉と後輩からの言葉のギャップが大きくてびっくり。

先輩はなんていうか、あったかいお姉さんてき視点?
後輩からは、やけに褒められすぎてて照れる。

高校までそんなにがっつり「後輩」って存在と関わってきたことがなくて、
2年生になってから初めての後輩に戸惑いつつ交流をしてたんだけど、
まぁ、いろんなことがあって後輩に対するサポートとかフォローには気を配ってきたつもりです。
だって運営代の一員だしね。代表でも副代表でもないただの一員の重みは自覚してたよ。
だから、なんかやってきたことが報われた気がしてじーんときちゃいました。
後輩のみんな、ちょっとでも慕ってくれてたんだなぁって。

でも、逆に、自覚なくやってきたことが思いがけず感謝されてると、それもまた嬉しくって。
先輩が、意外と、「ありがとう」とか「さみしい」とか書いてくれててすごく感動した!
わたし先輩には頼りっきりで、もうめっちゃ好きで、甘えてばっかいたのに。
そんな私も先輩から感謝されることがあるんだ~!って思ったのです。
こんなしょーもない後輩もお役にたててたのか。
やばいなぁ、泣いちゃうかと思ったよ、もう。

っていう分析を経て、先輩にとっての私同様、
私にとっての後輩にも感謝を伝えていかなきゃな、と思いました。
うん、ほんとー感謝してるんです。

さぼりたがりな私がミーティングきちんと行ったのも後輩になめられたくないからだし、
私にない意見を誰かが持ってたりすると感心させられて、自分まだまだだ!って思えるようになったし。
なにより仲良くなってくれて、たのしい思い出をたくさんありがとーって伝えたいです。

あー、てれる。

なんか今回、初めて縦のつながりっていいなぁと思いました。
学生団体は毎年メンバーがくるくるして、一貫性がなく厄介なもんかと思ってたけど、
割と悪いことばかりじゃないじゃない。

まわることでみんながいろんな立場を経験できるようになって、
先輩から引き継ぐこと、後輩へ託す行為を経てようやく一人前になれるような。
大好きなONE PIECEでも「白ひげの時代はおわった」とか「新時代の幕開け」とかいうけどさ、
(そんなに大げさなもんでもないけどさ、)

引き継げる誰かがいるって素敵なことだと思うのです。
自分は限りある存在だけど、意志を引き継いだ誰かが残ってくれてれば、いうことは何にもないさ。

つまりは、引き継げる誰かがいる場所、つまりはこの団体の存在、が大切です。
私は自分が成長するためにこの団体に入ったようなもんだけど、
思いがけず、団体にとってプラスなことができていたのなら、うれしいな。

よっし、おしまい!
れぽーとがんばろ。
$Utop!an!sm-世界が日本を応援している

各国が動いてくれて、うれしいね。

国でも、個人でも、世界が日本に祈ってくれている。
こんなに嬉しいことはないですね。
報道を見るたび、感動しています。

それにしても使用ソフトが多言語に対応していなくて、これが限界でした。
アクセント記号すら表記できていないんだから。

少しのグローバル化が不便だ。
やるんならもっと、もっと、徹底的にやっちゃえばいいのに。

近づけば近づくほど、壁を感じてしまう時がある。
私にとっての世界は遠いなー。

この美しいメッセージたちは、こちらからいただきました。
http://matome.naver.jp/odai/2129995896147047401


ひとつ前の記事を、さらに実感することになった3月11日。

今まで経験したことのないほど大きな揺れ。
壁に掛けていた時計が落ち、高台に置いておいた籠がひっくり返り、本棚は左右に揺れた。
なかなか立ち上がれなくて、両足の震えに気がついた。
慌ててテレビを点けたら一瞬で電源が落ちた。

すべてが突然で、何もかもがひっくり返った気がした。

その日はひとり、部屋で、停電の中過ごすことになった。
中学校のときに技術の時間で作った手まわしで充電できるラジオが唯一支えになった。
その晩は布団の中で、1時間おきにぐるぐる回して、キャスターの声をつないでた。

何度も何度も揺れた。

浅い眠りにつけば、また揺れる。
弱い揺れに次第に慣れてきたと感じたら、大きな揺れも襲ってきた。
これは余震だ、昼間のよりは弱いって、揺れている間信じようと、願おうとしてた。

夜中ようやく就寝。
起きたらきっと電気がまた通ってる。
今晩だけ、今晩寝ちゃえば大丈夫って思いながら寝た。

5時間ぐらいで目が覚めた。
電気は通っていなかった。
南東に向いた窓から入り込んでくる日差しに感謝した。
またぐるぐる回して、情報をただずっと聞いていた。

眠くなってきたのでまたベッドにもぐった。
うつらうつらしながらラジオの声が遠くなるのを感じた。
あー、充電きれてきたなって思って、でももう寝ちゃうからいいやって。

ちょっとたって、キャスターの声が復活した。
あれ、ラジオの充電復活したのかなって一瞬待って、あれいやまてよと。
ぱっと見たら、電源入れっぱなしで停電で消えたテレビが復活してた。

あわてて起きた。
安心したのもつかの間、そこには悲劇が映っていた。

そこからはテレビに張り付いていた。

日に日に増える犠牲者の数。

津波の映像。

原発の問題。

避難所の様子。

首都圏の混乱。

たまに流れてくるでま情報。

買いだめ抑止の呼びかけ。

輪番停電の知らせ。

あれから10日が経ちました。
この地震をどう受け止めなきゃいけないのか、分からない。
被災者の方々になんと言えばいいのか、分からない。

まだ途中段階の私ですが、とりあえず今の段階での心境です。

例えば1万人の人が亡くなって、

例えばそのひとりひとりに4人の家族がいたら、
4万人の人が悲しみに暮れる。

例えばそのひとりひとりに100人の友人がいたら、
400万人の人がその人を想う。

人が死ぬって、こういうことだ。

命が残った404万人の人は、どう生きるのか。

私はここが、ずっと、ずっと、分からない。
たくさんたくさん考えても、分からない。


もうすぐ今日が終わる
やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい
燃えるような恋をしたかい

かりゆし56のおわりはじまり、歌詞見てないからほんと、聞いたことしかないんだけど。
なんかじーんっとくる曲です。
ストレートさが好きです。

今ひさしぶりに電車に乗ってて、社会人の人たくさんいて、毛嫌いしていた東京をみて。

なんとなく、東京に暮らすのも有りだなと、感じてしまいました。

要は呑まれさえしなければ自分は生きていけるだろうなーって。

ゆっくり暮らしたら自分そんなんじゃ物足りないなって思った。
求めてたのは忙しさの中のゆとりなわけで。
がんばれるうちはがんばっておこう。