父は肺炎と診断されました。
でも日曜日の午前中、いったん回復したと聞いています。
看護師さんと「寒いから電気毛布を持って来てもらおうか」と話したり、
「家内は身体が弱いから、持って来させるのは悪いな」と気遣ったり。
その日、父はいつもの父に少し戻っていたそうです。
昼食もしっかり食べた。
なのに、その後——突然、意識がなくなりました。
月曜日、医師から説明がありました。
「肺に気を取られていました。もしかしたら脳梗塞かもしれない。今から脳の検査をします。」
数時間後、告げられたのは、
「脳梗塞でした。」
…。
もし発症が“日曜日の昼食後”だとしたら、
説明を受けた時点で、もう24時間近く経っていることになります。
脳梗塞は、早ければ早いほどいい。
それは、誰でも知っていることです。
それなのに——。
思い出してしまう場面があります。
日曜日、病院から呼ばれた日。
先生はベッドサイドで、私たちにこう言いました。
「頭は大丈夫です。肺だけ問題です。」
……検査をして「脳は大丈夫」と言ったんじゃなかったの?
何をもって“大丈夫”と言ったの?
あのとき、もう少し早く気づけていたら。
まだあの時間なら、意識は取り留められたかもしれないのに。
看護師さんは気がつかなかったのだろうか。
誰も、サインを拾えなかったのだろうか。
悲しみの中にいたはずなのに、
悔しさが積み重なって、
気づけば「怒り」に変わっていました。
怒りたくなんてなかった。
でも、どうしても納得できない。
父の時間は、取り戻せないから。