先日の記事の、「印籠」のお話に反応してくれる人が、
「あなたはどんな印籠持ってるか見つけようセッション」
略して、「印籠セッション」が本当に生まれるかもしれませんよ。
ということは?
私の記事を読んでくださっているあなたは「
こんな風に何かが産まれるときや
アイデアがわくときや
何か形になっていくときや
現実として目の前に現れるとき
というのは、自分の中にある思いや気持ちや言葉になる前の言葉を
「出す」
からだなと思います。
色んな人と関わって
色んな所でしゃべって
色んな思いを感じていると
私にとって、「出す」ということが、
すごく、「大事なこと」として扱ってる気分。というのかな。
(こういう、あやふやな気持ちも出す。ですね。)
その「出す」の最終形(?)っていうのか?
たどり着くところは
愛情を注ぎたいだけなんだろうなといつも思います。
夫は、私を大事にしてくれない
母は、私を愛してくれなかった
こどもは、私をないがしろにする
友達は、いつも私を見下す
・・・だから、私も相手を大事にしない
そうやって、相手が自分に「してくれないこと」を嘆いて、
自分の愛情を相手が受け取ってくれない怖さや恐怖や記憶があるか
そうすることで、自分のことを守ってるということが多いです。
本当は、相手の事大事にしたいし、好きだよって言いたいし、
自分の中にある、
・・・・なんで、こんな話になった?
前にもこういうこと書いてた。
良かったら読んでみてね。
ではでは。