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ちーこの気まぐれなブログ。

無事2年生に上がれた高校生。
花の女子高生、セブンティーン…となるはずがそんなものとはかけ離れた生活を送っとりますw

今テスト週間で現実逃避をしてマンガを読んでいるのですが(とてもジーンときた場面がありました。

遠藤ミドリさんの繰繰れ!コックリさんというマンガをご存知でしょうか。

6巻の1話目にでてくるのですが、こっくりさんがパレードを見ようと言った時にこひなに拒否られるのですがその時のシーンです。

特別なことをしなくても普段のことを覚えていればいい、というこひな。
それに対してこっくりさんがでも一緒に見たいんだ。と言うんですが心の中の声?みたいなところで

『人は忘れていく生き物だから
何気ない日常は積み重ねていくごとに忘れていくから
だから人は特別な日をつくり思い出を作る
もしその人がいなくなったとしても思い出せるように
何かあたたかいものが残るように
共に特別な風景を見る
心に深く刻みつけられるように』


というシーン。
まぁ最後はいつもの如くギャグでおわるのですがw
すごいぐっときませんか?

確かに特別なことなんかしなくても生きていけます。
自分の仕事や勉強をして、食事をとって、お風呂に入って、寝て…
この繰り返しでなんの不都合もありません。
むしろこれをしっかりできるのはとても幸せなんだと思います。

でも少し味気ない、色のない世界になってるような気もします。

今日、問題になっている自殺。
そこに加えて若年層の自殺率の増加。
少なからずこの単調な先の見えない日々が続くのも関係しているのではないでしょうか。

学歴、資格、勉強、習い事、受験、小学、中学受験、高校、大学、レギュラー争い、就活、昇進、蹴落とし合い…
あげたらキリがありません。
すし詰めにやらされるが先は見えない。
そんな中で起こる僻み、嫉み、妬みからくる争い。
そんな中で進もうとする意味って…?

先が見えない、色のない世界で生きる意味とはなんでしょうか。
同じ作業を毎日繰り返すだけ。
ロボットと同じではありませんか。

せっかくこの世界に生を受けたのです。
つまらないと思い生きていくのが嫌になり、絶望し自殺という悲しい方法を選ぶ人が一人でもいるのは悲しいことです。
私もまだ高校2年生のひよっこですが昔は自殺という方法を選ぼうとしたこともあります。
中学生で生きるということに絶望して死のうとして。
人様に自慢できることではない、隠さなければいけない事ですが腕には生きるのに絶望した傷がたくさんあります。
でも結局今ここにいます。

子どもの分際でなにを、と思われるかもしれません。
でもたかが13歳~15歳の子どもでも絶望して死んでいくような世の中になってしまっているのです。

何度も言いますがそれでも普段のことを繰り返せば生きていけます。
でもそこに自分の人生にとって何の価値があるのでしょうか。
死ぬ間際に自分の人生は充実したものだった、と思えるでしょうか。

そうとはあまり言えないと思います。
ならばせっかくの一度きりの人生、楽しいこともないと生きるエネルギーがでてきません。

そして、周りの人との繋がりからみても大切なのではないでしょうか。
一緒に何かをして、思い出を作って記憶や形に残して。
仮に自分がこの場から消えたとしても忘れずに残っていれる。
自分という人が存在した証です。

人は生まれながらに承認欲求というものがあります。
私はここに存在した!というものを残すことできっとその承認欲求を満たされていくのではないでしょうか。

長ったらしくなり、話も逸れましたが普段の生活の中で思い出を作るのは無くても生きていけます。
でも単調な日々の繰り返しは私たちの人生にとってどれだけの価値のあるものなのか。
そしてそれは今日の問題である自殺問題にも繋がってくるのではないか。

きっと『思い出』は楽しいだけではなく人生に潤いを与えてくれ、新たな何かを私たちに与えてくれて生きる意味までも時にはあたえてくれているのではないでしょうか。