
実は、将来のライフワークにしたいと
以前から考えていました。
私のように、きょうだいにハンデのある人がいると
健常な人には到底理解し難い「悩み」が
あるもので…。
私は、対外的に自分の兄の存在が恥ずかしくて
隠してるわけじゃない。
初めて会った人にいきなり
「あのね、うちの兄ちゃんがね…」と
突然話しをする内容でもないし、
むしろ、話された側も逆にリアクションに
困るんじゃないかな?と思うし。
だから、長い付き合いを重ねてきて
「この人には話してもいいかな?」と思える
人にしか話さないようにしている。
これは、私のポリシーみたいなもので。
blogではチョイチョイ登場する“お兄ちゃん”、
リアルな友人には、話したいけどなかなか
面と向かって話す機会も無かったので、
なんとなーく、さりげなーく、書いてきた。
子供の頃は気づかなかったけど、
今思い起こせば嫌な思いをしたことも
たくさんあったし…。
大人になった今も今で、
そういう兄弟がいることで
自分の将来をいろいろ考えたりする場面も
でてきたりするし。
今、実際にそうだし…。
親は、自分も兄弟も同じ
“お腹を痛めて生んだ子供”であって、
同じように愛情を注いでくれる。
でも、
親にしかわからない苦悩があるのと同じで、
子供にしかわからない苦悩もまたあるわけで。
親には言えないけれど、
同じ境遇の人たち同士なら
理解してもらえるんじゃないか?と…。
「うんうん、わかるよ。」的な感覚でいいんだけど。
ひとりで悶々としてるよりは全然ましなのかなぁ。
例えば、きょうだいのことで
将来に不安を持ってる若者がいたとして、
同じような経験をして
その苦難を乗り越えてきた人からのアドバイスは
何より心強いし、説得力がある。
希望も持てるかもしれない。
私はどっちかっていうと、もう
悩んでる若者にアドバイスする側に
近いのかもしれないけど(笑)
でもまだ、先輩のアドバイスが欲しいことも
たっくさんあったりする…。
別に大々的に宣伝するわけでもないし、
果たして何人の人が集まるかわからない。
「ぷっ、全然人が集まんないじゃん。」って
笑いたい人がいれば、笑ってもらってかまわない。
それだけ「悩んでる人がいない」ってことなんだと
私は受け止めたいです。
