佐藤シューちひろ

佐藤シューちひろ

意識の世界が見えてくると、日常の世界がすっかり変わってしまう。
見えない存在たちとの破天荒なコンタクト。
ブログ・シリーズ「夢の冒険記」「ミヒャエルと一緒に冒険に行く」「ニシキトベ物語」

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ガブリエラ

「ガブリエラ」

赤土、素焼き

 

 

 

「あそこのお堂に何日か泊まってみたらどうです? 夜になってしばらくすると、いろんなのが出てきますからね。あなたなら何か感じるんじゃないの?」

 

龍和尚にそそのかされて、私がおながみの森のお堂に泊まり込んだのは、2014年の冬のことだった。

 

おながみの森。そこには磐座群があり、ニシキトベの部族の本拠地だったと和尚さんは言う。神武軍が上陸したのも、この近辺だったそうだ。

和尚さんはここに二週間こもってみたことがある。何日かした時、ニシキトベの姿がはっきりと見えてきて、いろいろなことを教えてくれたのだと言っていた。

 

人気もない森の中の小さなお堂……。

 

それで私は、その日から二晩そこに泊まり込んだ。日本を離れる直前のことだった。熊野にいられる最後の二晩を、その森の中で過ごしたのだ。

そこは電気も水道もないところで、夜はロウソクの灯りだけだった。ちょうど月もない頃だったので、森の中は真っ暗だった。闇の中に、風の音と波の音だけが聞こえていた。

 

お堂の中にいても、磐座のエネルギーは強く感じられた。ニシキトベのエネルギーは、出てくると言うよりも、すでにそこにあった。意識を集中させると、暖かく柔らかいエネルギーに包まれた。

 

ニシキトベは、ぽっちゃりした南洋風の女性の姿で私の意識のイメージには見えていた。太めで、目が黒く丸くて、キラキラ輝いていた。勇ましいと言うよりは、かわいらしい感じの女性だ。かわいらしくて、自然の色気がある女性だった。

 

霊的エネルギーと繋がって見えるイメージ。それは、現実の姿というのではない。本当にニシキトベがそういう姿をしていたということじゃないのだ。それはエネルギーを感じた時に無意識的に連想されるイメージのようなものだ。だから、見る人によって姿は違っているけれども、雰囲気としてはだいたい皆同じイメージを見る。

 

南洋風のおおらかさ。柔らかく暖かい愛の感情。色気のある愛らしさ。生き生きとした感情……。

 

言葉にしたら、そんな風になるかもしれない。それが南洋風の愛らしい女性の姿として現れる。

 

「さあ、もう大きくなってはいけないなんて思うのをやめて。それは大きくなろうとする力なのよ。あなたたちを駆り立てていたものは。

さあ、もう大きくなったら奢りだとか、人に嫉妬されてつぶされるとか思うのをやめて。

思い切り大きくなるの、思い切り!

もう制限はないのよ……」

 

ニシキトベの声として、私はその言葉を聞いた。意識の中に呼びかけてくる言葉。言葉というのではない、概念のエネルギーのような言葉。

 

和尚さんは薬草のことなどを話していたそうだが、私が繋がった時に出てきたものは、そうした内容だった。

 

大きくなってもいい……。世間的な制限を超えて、大きくなってもいい……。

 

すると、私自身が大きな木のようになって、どんどんと伸びていくイメージが現れた。

大空を越えて、宇宙まで伸びる大きな木になる。地球にしっかりと根を張ったまま、大きく大きく伸びる……。

 

すばらしい自由の感覚。

背筋を光の柱が通っているかのようで、それが樹液が上り下りする木の幹のイメージと重なる。

どんどん大きくなっていく。この成長をもう止めることはできない。いや、止めたくない……。

 

あれは今思えば、磐座のエネルギーそのものだった。

地にしっかりと根を張り、大きく大きく伸びる木のように生きること。現代からはなかなか想像がつかないような世界。妨げられない自由な成長、自由な表現……。

 

これが縄文の人々が生きていた世界なのだろうか……?

 

地にしっかりと結びつき、支えられる強さ。人から押しつぶされることのない力……?

この力を、縄文の人々は持っていたのだろうか? この力が当たり前のようにある世界で、縄文の人々は生きていたのだろうか?

 

そして、ニシキトベがここで上陸していた神武軍に出会った時から、この力が封じ込められていったのだ。

 

それから、封じ込められていった記憶が現れてきた。支配者と被支配者の物語。犠牲者と攻撃者の物語が……。

 

その痛みの歴史。それは、どうにも解けないように思われた。でも、私はそれを丸ごと抱え込んで癒そうとしていた。そのすべてを丸ごと私の中に受け入れて、消化しようとしていた。

 

するとある時、敵対した硬いものが互いに解けて、交わり始めるのを私は感じたのだ。

二つの異なる文化がぶつかった時の悲劇。

長い平和が続いた縄文に時代が終わり、戦いに戦いが続く時代が始まった。

これもまた、二つのものが融合していくことで進化する、人類の進化の物語だったのだろうか? 苦痛に満ちた融合の長い長いプロセス? 何千年にもわたる?

 

封じ込められて、大きくなってはいけないと思わされ続けてきた人々。従順でなければいけないと、そうでないのは奢りでありエゴであると。

そう言われて、自分を小さくし、おとなしくしてきた人々。長いものに巻かれることで生きて来た人々。それは、現代を生きる私たちの中にもある。

 

ニシキトベの記憶は、その原初的な記憶なのだ。封じ込められた歴史の。そして、封じ込められる以前の世界の。

 

それが、蘇る時が来たということなんだろうか……?

 

私は受け取ったものをノートに書き留めては、また寝ていた。寝ているとまた見えてきた。それでまた起き上がってノートに書き留め、また寝る。その晩は、そんなことを一晩中繰り返していたような気がする。

 

 

昼の間は、私は森の中で陶像を作っていた。

磐座で陶芸やってみたら、何か特別なものができるんじゃないの、と和尚さんが言って、私が製作できるようにとあれやこれやと用意してくれたのだ。

時間もそれほどないし、道具もなかったから、ごく簡単なものを作るつもりだった。いつも私が作っているようなもの。それも、あまり大きくないものを……。

 

それで私は、前にもよく作っていた「ガブリエラ」を作ろうと思い、女性トルソのようなものを作り始めた。ガブリエラは大天使ガブリエルのことなのだけれど、ガブリエルは私にとっては女性性。だから、女性形にしてガブリエラ。それまでもよく作っていたものなので、私は軽い気持ちで作り始めた。

 

ところが、おながみの森で作っていると、やっぱりいつものガブリエラとは違うものになっていく。日本の土壌、日本の空気がオーストリアとは違うからだというのもある。熊野の土地が特殊な磁場を持っているからだというのもある。

いつも作るガブリエラは、ヨーロッパの乾燥した空気のような、カラッとした感じのものなのだけれど、その像は熊野の森の湿り気のような、じっとりした感じのものになっていった。

 

天使というよりも、踊っている巫女のような……。

これが磐座のエネルギー、ニシキトベのエネルギーなんだろうか? 

夜、イメージの中に見たニシキトベの姿が作品の中に入ってきたようだった。

 

それで私は、そのイメージをこしらえることにしたのだ。南洋風の女性、呪術的な踊りを踊る女性の姿を。

 

「うん、うん。こんな風だったよ、私が見たのも。お尻の形がそっくりやね……」

和尚さんは、成形が終わった像を見て、さも嬉しそうにそう言っていた。見た姿は違うのだろうけれど、何か同じ雰囲気、同じエネルギーがあるらしい。やはり、これがあの磐座にあるエネルギー、ニシキトベのエネルギーなのだろう。それが陶土の中に入って、形になった。

 

形にすることの力。

それは、霊的エネルギーのような捉えがたいものを、ダイレクトに伝える力を持つ。言葉ではなしに、心で伝わっていくような何か。あの磐座で受け取ったものが、私の手を通して形になる。それは、「作る」というような能動的な作業でさえなく、私の中に入ってきたものが生み出されていくような、自然に流れるようなプロセスだ。

 

そして、この像から始まっていったのだ。

私は成形が終わった像を和尚さんに託して、日本を離れた。像は熊野の入鹿窯で焼かれ、焼きあがった像は龍和尚のところに届けられた。それが反響を呼び起こした。

 

と言っても、像の出来がいいとかいうことではないのだ。それは時間ギリギリで、仕上げもそこそこにこしらえた作品で、完成度が高いと言えたようなものではなかった。ただ、それを見た人が何かを感じたのだ。ニシキトベのエネルギーを。これがニシキトベなのだと感じたのだ。

 

「ちひろさん、早く熊野に来て下さい。和尚さんが、ニシキトベの踊りの形を皆作ってもらって、神楽を再生せにゃならんのに、と言っています!」

 

入鹿窯の大場さんにそうせかされて、私は翌年の夏にまた熊野を訪れることになった。

7月の終わりから8月にかけての最も暑い季節だった。その時には、磐座のそばに小さな小屋ができていた。窓から熊野灘を見渡せる小屋。そこに私は一ヶ月ほど寝泊りしながら、ニシキトベの像を製作することになった。

 

磐座の小屋での暮らし。

そこでは、私は磐座を枕にして寝ていたようなものだった。何しろその小屋の中には、磐座の石の一つが抱きこむように入っていたのだ。

それは、陽の水脈の波動が強い石で、身体の中の気の通りが活性化する。寝ていると、身体中がドキドキと脈打つような感覚がした。だから、よく眠れはしなかった。でも、磐座のエネルギーを受け取るにはいい場所だった。

 

磐座の強い波動のおかげで、あたりの木は根の張り方が違っている。木々はまるで精霊がついているかのように不思議な生気に満ちている。

精霊。木の生命エネルギーが強いために、そんな感覚がするのだ。まるで、木が人間ででもあるかのように存在感を持っている。

 

私は懐かしいこの磐座に戻ってきて、嬉しくてたまらなかった。

精霊たち、いろいろな存在たちが迎えてくれているような感覚がした。この森には黒アゲハがたくさんいるのだけれど、それが近くまで寄ってくる。桜の木が上に生えた磐座があり、その根元には赤い蟹がいた。それが、まるで何かを私に伝えたいかのように思える。

 

蝶や蟹。生き物たちが何やら意味ありげに姿を現わすのは、どういう現象なのだろう? 昔の人は、そこにある意味を見て取った。予兆のようなものを読み取ったりもした。また、お伽話の世界では、人々は生き物と会話したりもする。

 

お伽話の世界。それは架空の世界ではないのだと私は思う。それは意識の世界の現実なのだ。昔の人々は、そういう世界に普通に生きていたのだと思う。

お伽話は、元々子供のためのものなどではなかったのだ。あれが子供のためのものになったのは、近代に入ってからのこと。近代に入った頃、人々は意識の世界に生きるのをやめてしまった。それは子供っぽい意識、現実ではないということになった。お伽話が子供のための架空の話だということにされたのは、その頃からのことだ。

 

アボリジニやチベットの奥地の人などは、誰でもテレパシー的なコミュニケーションを当たり前にしていて、植物や動物とも普通に話しているのだと言う。実際、動物も植物も人の感情に応えてくる。愛情をもって見ていると、植物はよく育ち、さかんに花を咲かせたりもする。

 

縄文の時代の人々も、おそらくは木や草や動物と話すことをごく自然にしていたのだと思う。人と自然、人と人。そのテレパシー的な交流が分断されてしまったのは、いつのことだったのだろう? 

 

神武の軍がやって来た時、縄文の人々は初めて心を開いていない人たちに出会ったのだろうか? 武装してやってきた人々、鉱物を求めてやって来た人々、他民族を野蛮人としか思っていない人々、テレパシー的な以心伝心の言葉が通じない人々に?

 

分離を超えていくこと。それがテーマだろう、と私は思っていた。

この何千年かの歴史を超えて、縄文の融合と調和の世界を再現すること。縄文の時代は、おそらくは今の私たちにはあり得ないと思えるようなことが当たり前にありもした時代だろう。今の私たちの常識的な考えからは、想像もつかないような社会だったのだろう。

 

それを表現するのだ、と思った。

そして私は、私自身の中にある常識を超えて、その世界の中に入っていこうとしたのだ。

 

「ニシキトベさん、あなたは知っているのだろうか?」

「いえ、知らないのよ。私たちが一緒に作り出すのよ……」

 

ニシキトベがそう言っているような声を聞いた。きららかな笑みをたたえている口元と黒い瞳が見えたように思った。

彼女は何の心配もしていないようだ。まるで愉快がってさえいるようだ……。

 

一緒に作り出す? 何のことなのだろう……。 

ああ、過去は固まったものではないから? 

 

過去は、今に生きる私たちがどう受け取るかで、様々に形を変える。きっと、そのことをニシキトベは言っているのだ。

過去の記憶と繋がって、新しく再現すること、過去を新たに発掘すること。それは過去を新たに作り出すこととも言え、また現在を新たに作り出していくことでもある。過去とは今に生きる私たちが作り出すものなのだ。

 

ありとある存在が融合し調和しているような世の中が、本当に縄文にはあったのだろうか? 縄文の時代、何千年にも渡って戦争のない時代が続いたというのは、本当のことなんだろうか……?

 

今私たちは、人間は戦い合うものだという考えにあまりにも慣れてしまっている。戦争のない世界など、非現実的な理想論に過ぎないのではないかと、すぐに疑ってかかる。

 

でも、ひょっとしたら、そんな世界も現実に可能なのかもしれない。それを解く鍵が縄文にあるのかもしれない……。

 

一体、どのようにして、縄文の恒久的な調和の世界が消え去っていったのか?

融合的な世界が徐々に分断され、支配し合う、戦い合う世界に変わっていったのは、どのようにしてだったのか?

 

分離の歴史。世界がいくつものグループに分かれ、互いに争い合う。その時、グループの内部は同じであり、他は違う、という意識ができあがる。内側には、個を潰した一致と調和の世界。そして、外には敵か味方のどちらか。いずれにしても、外には「私たちとは違う人たち」がいる、という世界観。その時、それぞれは自分たちの平和を守るために他と争う。

 

さまざまな民族が入り混じりながらも、平和を保っていたという縄文時代。それは、その頃まだ、戦争をするような技術が発展していなかったからに過ぎないのだろうか? あるいは、そんな技術を発展させる必要のない世界だったからなのか?

 

もしそうだとしたら、それは今の私たちには容易に想像することのできないような世界だったのだろう。

 

踊るニシキトベ

「踊るニシキトベ」

2014年12月に製作したもの。ニシキトベ復活のプロジェクトは、この像から始まった。

 

 

 

私はある特別な形のニシキトベの像を作って欲しいと、和尚さんに頼まれていた。

ニシキトベは殺され、身体をいくつにも切り分けられて埋葬された。だから、それを象徴するように、四つくらいに切り分けたニシキトベの像を作ってもらえないか、と。それを一つに組み上げる神事を行うのだそうだ。それで、ニシキトベの復活を象徴するために。

 

分断されたものを再び一つに繋げること。

 

それは面白いアイディアだと思った。ただ、実際にそれを製作するという段になって、困ったことが起きてきた。

 

現実的な話として、そういう像を作るには、まず初めに完全な像を作らなければならない。作品として完成し、生命の入った像をまずこしらえるのだ。そして、その後でそれにナイフを入れて切り分ける……。

 

これが作者にとって、どうにも忍びない行為だということは、わかってもらえると思う。

 

一体、ニシキトベはそのようにして復活させるべきなのだろうか?

どうも少し違うような気がした。

 

そうではない。私にとっては、ニシキトベの像を作ることそのものが、ニシキトベを復活させることだ。分割されたものを繋げるのではなくて……。

 

切り分けられて埋められたニシキトベの身体。それは今の今まで、地上のあちらこちらで精霊や物の怪のような姿になって生き続けてきたのじゃないんだろうか……? 

 

今ニシキトベが復活するとして、それはバラバラに分割されていたものが一つに組み上げられることで復活するのではないのじゃないのか?

 

あちこちにあるものを、ひとところに集めてくることでではなく、それぞれのところで繋がり合いながら、もっとずっと大きな繋がりの中で復活するのじゃないんだろうか? 新たな、より大きな融合の形として?

 

私はそんなイメージを抱いていた。


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