10代20代の違いよりも、昭和平成の違いの方が重く感じる

友達と遊ぶことの代表格が、ゲームを通してになっているのが平成

それ以外の、鬼ごっことかもっと土臭いものも知っているのが昭和

そんなイメージ


昭和と言っても長いけど、戦前、戦後、と私が生まれた辺りの

長い時代だから一貫して言えたものじゃないんだろうけど

平成になって、いろいろ開発されて、人の生活は豊かになって便利になって

でも失われたものの方が多いんじゃないかって

最近思う


ALWAYS三丁目の夕日を見た

べたなのかもしれないけどすごい好きだった

良いなああの匂い


子供たち同士は横に座って、一人ずつ持ったゲームを楽しむ

家庭内でも子供達は一人ずつ部屋を持つ

子供は親の手伝いをせず、するときは親からの感謝を求める

お隣の家の人が一体何をしているのか、最近何を考えているのか

もはや、名前はなんなのか、何歳なのかも分からず

親しくしているよりもお互い不信がっている

みんなで~~するよりも、私は好きなことをする


便利だけど、いわゆる‘インディビジュアル’で

私もそんな生活だけど、

この映画の様な日々をすごしたことがあるわけでもないけど

少し羨ましい

今からあの生活を始めろと言われたら、

うっとおしいし、プライバシーがないと思ってストレスを感じてしまうと思う

でも、感じることを知らずに成長できたこの時代の人達は

今の人達よりもあたたかかったんじゃないかな


今からでも、何を戻せるのだろう

生活を戻さずとも、あたかかさをどう戻せるのだろう



WALL・Eを見た

地球は大きなゴミ箱になり、人間は船に乗って宇宙に逃げる

そして宇宙船の中で何不自由ない生活をする ロボットに支えられながら

噛むことすらめんどくさず、全部飲み物にし、

立ち上がることをめんどうくさがり、一人一人みなベッドに乗ったまま生きる

お互いと触れ合うこともないまま、会話も全部画面を通す

自分の力で動かないために骨は退化していく


すごくありうると思う

まさに便利すぎる生活は、そういう方向に向かってるんじゃないかな


宇宙への研究をこれ以上進めるなとも思わないし

思っても意味がないって分かってる

科学のこれ以上の発展を望まなくても、全てはどんどん発展していくだろう

そうしたら、本当にああいう世界になって、

人間もああなってしまうのだろうか?

心もない、力もない人間ばかりになってしまう



だけど、人間は孤独な生き物だから

結局は他人依存な人間だから

人からみとめられないと、自分の存在意義を見つけられない

そんな人間だから

不安になって、おかしくなってしまう

だから変な事件が増えてしまう

すごく自然な流れと言えば、そうだと思う



最近の世の中は、こういう

人間はこのまま進んでいっていいのか

って言う疑問を投げかけているものと

昔を思い出してしんみりしよう なんて昔は今と比べてよかったのだろう

って

懐古ものが多いんじゃないかな


周りがそうでも

自分の中でのせいいっぱいの暖かいをしたい

三丁目のあのおねえちゃんみたいな

お母さんみたいな

ほほえんでいて、支えてくれて、元気をくれる

そんな人でありたい

そんな人になりたい

涙ってなんとなく安っぽいから、あまり流したくないのに、
泣けない人間になることはこわくてしかたない

/lalala



あ、書かなくちゃって思ったことを一瞬で忘れた


ララは、

孤独は辛いけど、

なきたくないけど、

泣けない大人になるのはもっと辛いって言った


ゆーらんは、

一つ知ったことを絶対に

会う全員の人に話さなくちゃいけないと思って

自分が発する言葉にかみかみしながら、

必死で伝えた小さい頃

秘密は秘密 自分の奥に潜めた気持ちを

伝えない 伝える必要がない

そう思うことを

大人になったのいうのか

それとも単純に孤独になったというのか


子供から大人になるっていう

過程は一体

どんどんめんどくさがりになって、冷たくなって

自分ひとりで清算してしまう感情が増えて

心が固まっていく過程のことをさすのか


それとも、

その固まってしまう過程を

固まってしまうと言いたくなくて

冷静になってる 節度がある

とかなんとか言って

正当化して自分をごまかしてるのか


それとも本当に´大人’になってるのか

熟されたが故の行動なのか



なーにー?

雨の日の混乱


冷える!なんて寒いのだろう!!


四季の中で一番好きな秋はまばたきをしている間に終わってしまい、

味わうこともできないままで気づいたら冷え込む季節に入ってしまった様子

猫舌だから飲まないで待ってたらぬるくなってた

みたいなそんながっかりな気分

あったかい靴下と暖かいお風呂にホットミルク

これで頑張ってこの冷えを乗り越えないといけないね


悔しいこと。

自分が得られないものを他人が得てしまったとき

結局私は自分ができるならばほしいのに得ることが出来ないものを

他人が得てしまったら

絶対に心からは喜べない

悔しいし、ずるいし、何で私じゃないの?こんなに願ってるのに

本気で喜べる人って居るのかな?

喜んであげられても、どこかにもどかしさを感じないの?

それとも私がひねくれてるだけなのかしら


思うに、

優しさというものは、私の中で余裕の後に続く

自分がある程度安定したものを持っていて、余裕があるときにでないと

私は心からは優しくはなれないのかも

自分も大きい荷物を持ちながら階段を上っている時

自分の荷物さておきで、隣にもっと大きい荷物を持っている人のことを

気遣ってあげられるかって言われたら

私はきっと気づけない

気づいても、何かをさしだせる余裕はないと思う

相当何か、余裕を乗り越えてしまえるような

極端に嬉しい気持ちがその時自分の中にない限りは


同じように、

ボランティアとか、援助とかもそうでしょ?

日本人は自分たちが暮らしに不自由ない生活してるから、泥まみれになった生活をしてる人を

少し念頭において、助けようかなって思える

自分たちも泥まみれだったら

相手の泥よりも自分の泥の方が汚く見える


心の余裕が必要

何で最近いらいらするんだろう

余裕がない 

時間の余裕じゃなくて心の

昔はなんに対しても

まあいいじゃないって笑って飛ばせたことが

笑えない 表情すらでない

むかつく いらいらする 

なんで?何が変わったの?

日本に戻ってきて、

合わないアメリカから帰ってきて

余裕がもっと出るはずなのに


あーフラストレーション

考えぬく時間と余裕もない

これがいけないのかな