母形の実家でおばあちゃん、父、母、2つ上の姉の元に産まれました。


父は小売業で土日は家に居て夕方には家に居た記憶があります。


それと姉には甘やかし、私にはとても厳しかったのも覚えています。


物心つく頃に姉は周りと何か違う事に気づき父に尋ねたら

「姉は一生治らない病気なんだ、1人じゃ出来ない事が多い。だから家族の俺たちが助けてやらなきゃいけない。自分を少し犠牲にしてでも」

うる覚えですがこの部分は今でもしっかりと覚えています。


その日から
困っていたら助けて "あげなきゃ"
出来ないことがあったらやって "あげなきゃ"
という善意のような使命のような、
一般の人が困っている人が居たら助けてあげる。という素直な感情とは違う感情が生まれていました。
責任感を持った気がします。





そして姉の病気のことですが
ダウン症の合併症で直腸総排泄腔瘻という排泄部分や膣がうまく作られず癒着していて人工肛門(ストーマ)11歳までその治療をしていたと聞きました。
心臓の手術も何度か行って中等度の知的障害もありました。


なのでいつも母は姉につきっきり。
言葉はなかなか通じず、ダウン症の子は優しいとよく聞きましたが姉は暴力的で起伏が激しく凄い優しい時もあれば何かに取り憑かれたかのように怒鳴り散らしてくる時がありました。


姉に対しては、
母を独り占めされている
言葉は通じない
怒っていて殴られて怖い
ストーマを故意に外してしまう時があり、自分のお気に入りの服の上に中身が漏れその日から姉なんて居なくなればいいと強く思いました。


母は私に毎日
「ごめんね、ちひろごめんね」
と言っていました。


母との思い出はありません。


そのぐらいずっと姉につきっきりでした。
姉は母以外受け入れませんでした。


子供ながらもっと甘えたかったところを姉に全て阻止され姉を嫌っていたおばあちゃんとずっと一緒に居たためかいつも姉に対して苛立ちを覚えていました。