まあのブログ

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夢日記や神学などを書いております。

フランスのお家芸は「涜神(とくしん)=神を穢すこと」だが、神はそれ以上の存在であり、いくら穢しても神は傷つかないし、それは「人間が決めた神の概念を相対化しているだけ」なので、本質的には問題ないが、結局「賛美も冒涜もセンス」の問題である。

 

本質的には、涜神の精神あればこそ「世俗化≒私からすればそれがキリスト教の近代化」できたわけで、人間が勝手に決めた神の概念など一片の多様性の前に葬り去られる。

「無限なる神を、有限なる自分の妄想」に閉じ込める背教者には聖なる鉄槌が下って然るべき。

 

Aさんが神の教えだと思い込んでいるものに対して、Bさんが「俺の神はそんな教えをクソだと言っています」とお伝えすることは、

・神の無限性

・有限なる価値観の多様性

・貶されることなんて当然にあるという心構え

・それでも俺は一個人として「この考え方が好きだ」という信念

・「やっぱりBさんの考え方も良いな」という柔軟性

などを教えることになるので、本質的には涜神とは非常に良いものである。

ホテルで朝食をとっている。
犬のローザが床にいる。ポテトチップスとラタトゥイユを食べようとするがあまり食欲がないようだ。俺の膝の上に乗せてテーブルにあるそれらを食べさせようとしてもあまり食べない。
食べ終わったので自宅にローザを連れて帰る。
すると母親が電気の切れた家に3日前ぐらいからいて、布団で寝ているが元気そうだ。退院した時にお金ももらったよと言っている。そのお金で食料などを買っていたそうだ。
残りが6万ぐらいあったので、それで何か買ってくるよと俺は買い物に行こうとしている。
玄関にお座りしているローザに近づくと俺に勢いよく水ゲロを吐かれた。
母親もそれを見ていたらしく、今あんたに吐いたねと笑っている。
ローザは母親が好きなので帰ってきて母親のもとに飛びつかないのも不思議だったが、食欲がないのも不思議だった。今更ローザはどこか悪いのだろうかと俺は思った。

「本質的に間違えてしまう人間だけど、そんな我々を肯定しながら生きていこう」=無謬性=包容的人間愛 と私は言いたいわけです。

 

あなたの考えは、非常に深い意味を持ち、神学的にも人間の存在や愛に対する理解を深めるものです。以下に、その考えを整理し、より明確に表現してみましょう。

本質的に間違える人間と無謬性

「本質的に間違えてしまう人間だけど、そんな我々を肯定しながら生きていこう」という考え方は、人間の不完全性を認め、それを包み込むような愛の姿勢を表現しています。この考え方を無謬性や包容的人間愛に結びつけることで、以下のように解釈できます。

無謬性の再解釈

  1. 神の無謬性:

    • 神の無謬性は、神が絶対に誤りを犯さないという特質を持つものですが、それは同時に人間の不完全性を包み込む神の愛の表現でもあります。神は人間の限界と過ちを知りつつも、それを超えて愛し、導く存在です。
  2. 教皇の無謬性:

    • 教皇の無謬性も、神の導きを受けて信仰と道徳に関する教義を誤りなく伝えるというものであり、信者に安心と確信を提供します。これは、教会が人間の不完全性を認識しつつも、神の愛によって守られていることを示しています。

包容的人間愛としての無謬性

あなたの言いたいことを「無謬性」と「包容的人間愛」に結びつけることで、次のような理解が可能です。

  1. 人間の不完全性の受容:

    • 人間は本質的に間違いを犯す存在であり、それを受け入れることが重要です。無謬性という言葉を再解釈し、「人間の不完全性を包み込む愛の姿勢」として捉えることができます。
  2. 愛と理解の姿勢:

    • 包容的人間愛は、人間の過ちや限界を含めて全てを受け入れる愛の形です。これは、無謬性の本質を「愛の完全性」として捉えることで、神の愛が人間の不完全性を包み込み、受け入れる姿勢を表現します。

具体的な表現

「本質的に間違えてしまう人間だけど、そんな我々を肯定しながら生きていこう」という理念を、無謬性と包容的人間愛に結びつける具体的な表現としては、次のようになります。

「無謬性とは、神の愛が人間の不完全性を包み込み、我々の過ちを認識しつつも、愛し受け入れる姿勢である。この愛の完全性を持って、我々は互いを肯定しながら生きていこう。」

結論

あなたの考えは、無謬性を「愛の完全性」として再解釈し、人間の不完全性を包み込む包容的人間愛の一部として捉えるものです。この考え方は、神の愛が我々の過ちを認識しつつも、無条件に受け入れる姿勢を強調しています。このようにして、無謬性と包容的人間愛を結びつけることで、より深い神学的な理解と実践的な愛の姿勢が得られるでしょう。

 

 

 

神は人間を愛する。 神は人間が不完全であることを知っている。 神は不完全な人間を愛している。 その神の意志(我々は不完全だけど、神はそんな我々を愛してくれている)を教会は信者に伝える。 これでよろしいでしょうか?

 

はい、その考え方は非常に明確であり、神学的にも深い意味を持っています。以下の文章にまとめ直して、より簡潔かつ明瞭にしましょう。


神は人間を愛する。
神は人間が不完全であることを知っている。
神は不完全な人間を愛している。
その神の意志(我々は不完全だけど、神はそんな我々を愛してくれている)を教会は信者に伝える。


これで十分に理解しやすく、神学的なメッセージもはっきりと伝わります。さらに、これに基づいて信者がどのように行動すべきかについても簡単に触れることで、実践的な指針も提供できます。

例えば:


神は人間を愛する。
神は人間が不完全であることを知っている。
神は不完全な人間を愛している。
その神の意志(我々は不完全だけど、神はそんな我々を愛してくれている)を教会は信者に伝える。
信者はこの神の愛を理解し、自分自身と他者の不完全性を受け入れ、愛し合いながら生きることを目指す。


このようにして、神の意志を受け入れることと、その意志に基づいて生活することを結びつけることができます。これにより、神の愛のメッセージがより実践的で身近なものとなります。

鱈、牡蠣、ゆで卵、トマトペーストのパスタを、パスタを茹でる箱の中で、洗っている。

後でまたトマトペーストで煮るようだ。

ゆで卵は1つは2つに切っており、もう1つはそのまま。

 

親が流しに直に刺身を置いたので俺がキレている。

 

占い師もやっている油絵描き。 鮎、鮎を飲み込むカマキリ、他の魚、新幹線などを描いている。 帰り道は高校の近くのようなところ。日が落ちてきている。 郵便局員がいる。画集を写真に撮ろうとするが郵便局員とかぶって撮りにくい。 写真は占いのメッセージに添えようと思っている。

大学で大きな文字辞典を見ている。

 

塾で自分で問題集を解いている。終了時間ギリギリで先生が来て、さささと解説した。 後ろの席の人が「受験まで本当にこの問題集だけでいいんですか?」と聞いたら「良いから言っているんでしょう何でしょうこの人は!」と怒っている。だが先生も自分の授業がいい加減だという自覚があるから少し焦ってるように見えた。

 

教室の後ろ半分は別の部屋をぶち抜いて合体させている感じで、廊下側の壁は本棚だった。ものすごい重厚な古い本が並んでいる。

SとUが「eaaやめたよ」と レグリエの近くのデパートで生ハムと何かとセロリと豚肉のサラダを試食。何故か同時にビッグ3対決 売り場の人達もレグリエを知っていた あちらよりは美味しくないかもしれませんがと謙遜している 実際に水っぽくて全く美味しくなかったので私はそれを率直に伝えた

ラーメン博物館の無垢が復活している。 ラーメン博物館を通り過ぎて少し歩くと、喫茶店をやっているお客さんの家がある。 1時間前に着いたのだが、トイレとかしていたら約束の時間を10分過ぎた。 店はガラス張りだが、扉の前に車がつけてあり入れないようになっている。

 

中には4人ぐらいの女性がいて何か話している。私はガラス越しにお辞儀すると一人の女性が出てきて、名前を言うと「はい!聞いております」とすぐに中に通された。 向こうの部屋に既に4人ぐらい女の子がいる。

 

「1時間前に着いてたんだよ」とか「ラーメン博物館の無垢が復活してるぞ」などと報告する。 俺も含めて全員で4人かな。 そのうちの一人が駅でナンパした人の後ろ姿に似ていたが、別人だった。 俺はその人に話しかけるのを緊張して視線を合わせていない。

 

 

俺はなぜか先に帰り「後であの後ラーメン博物館の無垢に行ったよ」と報告を受けた。 俺は「まだやってたの?!」と自分で報告したのに驚いている。9月頃までかなとHPを見ようとしている。

シャーペンの芯が出てこず、他に入れて出そうとしている。 母親の布団に寝ながらやっていて母親は座って俺の話を聞いている。 シャーペンの芯が溶けていた。 平べったいシャーペンからは出てきた。 もう一つのはシャーペンの芯を針の糸のような所に通して使えるようになるようで面倒。

 

何でもノートに試し書きをした。最初数学のノートかと思って焦ったが、何でもノートだった。 溶けたシャーペンの芯は茶色になっていた。 母親に「俺が寝てたけど早く寝ろよ」と俺が退いて寝そべることを促している。

 

 

 

 

満員電車の中で相撲取りが壁に張り付いている。その出来に応じてエアコンの強さが決まる。

相撲取りの親は港区で金持ちの人も多いらしいが、

あそこの夏は暑すぎるから、ここがそんなになったら終わりだと頑張ろうとしている。

普通の客は相撲取りを応援するしかない。