「松山千春 『白い花』に思うこと~松山千春 全作品解説222~V1.6」S2852
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◇更新履歴
V1.0:2015.3.14 初稿
V1.1:2015.5.27 文章を是正
V1.2:2015.6.08 記事を追記
V1.3:2018.5.02 是正
V1.5:2019.9.11 最新エディタにて記事を作成、旧記事と差し替え
V1.6:2021.11.27 是正
■「白い花」編曲者:清須邦義
1977年11月25日リリースの3枚目のアナログシングル「時のいたずら」のカップリング
◆レコーディングミュージシャン
01. ドラム:
02. ギター(AG):
03. ギター(EG):
04. ベース:
05. キーボード:
06. パーカッション:
◆所有アナログレコード
◆2016.6.8 夢野旅人
今朝、アメブロ仲間のブログにアクセスしたら、6月7日の福岡公演のセットリストに「白い花」のタイトルがあった。
それもフルコーラス(その後、バンドによるワンコーラス・ハーフと判明)。
ついに38年ぶりにフルコーラスで歌った。
感慨しながらも複雑な思いだった。
御膳立てはあった。
5月22日放送の「ミュージックステーション」。
嵐のリーダー・大野智が「切ない一曲」として「白い花」を取り上げてくれて話題 になったこと。
時期を同じくして、九州・上木フーズの社長から電話で、「白い花」を歌ってくれないかとリクエストされていたからである(上木さんは「はまなす」が好きで福岡公演ではイレギュラーで歌う機会が多い)。
この曲を自ら歌ってくれたことは感慨深い。
その反面、複雑な思いというのは所謂、稚拙な嫉妬である。
この歌は1977年12月以降、フルコーラスで歌った確認が取れていない。
アンコール。
リクエストでももちゃんのギターでワンコーラス歌うことはあっても、自らそれもバンドで演奏することはなかった。
そのことについて千春が言及したことはないが、ファンの間では竹田さんの想いから封印した曲との憶測がある。
ステージで歌われることを待ち望む声は多いが、「白い花」は、夢野さんと同じく自ら歌って欲しい一曲です。
千春さんの気持ちを想像するとリクエストなんてできません。といったメッセージのように、千春が本人が歌いたくなる時を待ちたいと願っていた曲である。
ゆえに、たとえ今をときめく国民的アイドルと親友のリクエストであっても、その時を待ちたかった。
それが本音であり、複雑な想いとなるわけです。ま、嫉妬なんですけどね。
でも、今まで自ら歌わなかったのだから、そこはお二人に感謝して・・・
そう思い始めたら、気になるのは演奏アレンジ。ももちゃんのギターだけでフルコーラスなのか、全編フルバンドなのか。
朝一に、ブログ仲間に問い合わせてしまいました。「フルコーラスでフルバンド。最後は一旦 停まってジャーン って感じらしい」
その返事を見た瞬間、涎が出ましたもの。
下がりかけてきた高熱がぶり返しました。
いや、逆に楽になったかも(笑い)。
フルバンドで後半の♪らららを忠実に再現。
そうか、そうか。
シミュレーションしながらメーラーを開いた。
急遽、福岡に向かった友人からの報告。
「1番歌って、ラララ~で締める。1番はももちゃんのギターで2番はカット。ラララ~はバンドで、テンポが加速していくのを忠実に歌っていました」と。
何だ、フルコーラスではなかったんだと。
でもフルコーラスと錯覚するくらいなのだから、いい演奏だったのでしょう(実際、行かれた人の中で一番琴線にふれ印象に残ったとの感想も目にした)。
贅沢を云えば、フルバンド・フルコーラスで聴きたいけれど、
改めて日本武道館公演で千春自ら選んでほしい一曲 です。
◆2015.3.14 夢野旅人
一昨日、母が旅立ちました。
一年半止めていた煙草に火をつけました。
松山千春を見出した竹田健二さんが他界された後、リリースされたシングル「時のいたずら」のB面に収録されている「白い花」。
本人は、タイトルを「白い花を」と決め電話で伝えたのだが、レコードディレクターが聞き間違えたと語っている。
初披露はラジオ、「千春のひとりうた」のステージ。竹田さんが他界する以前に歌われている。
コンサートでは、1977年12月の「竹田健二ディレクター追悼コンサート」と、同時期の「バースディ・コンサート」で歌われている。
ともに弾き語りで、その後、フルコーラスで歌ったという確認がとれていない。
「白い花」に出てくるアネモネ。花言葉は、「はかない夢」や、「薄れゆく希望」「はかない恋」「真実」「君を愛す」「嫉妬の為の無実の犠牲」なのだという。
- 1981年秋、産経新聞で連載された本人のコメントなどを要約すると、
- 喫茶店の「カトレア」のマスターの市原さん。
- 彼の母親が花屋を経営していたこともあり、
- 千春が実家に帰ると、彼女が花を活けていた。
そのなかで、白い花が印象的で、花の名を訊くとアネモネだったという。- そのアネモネという白い花が、やけに心に残った。
- その時期、千春は恋愛中で、
- 「白い花だったってことは、今考えると、暗示的だった。 結局、別れることになって歌で使うことになってしまった。 アネモネの白い花は別れによく似合っていた」と語っている。
「白い花」をいつ書き上げたかは不明だが、そして千春のコメントを額面通りにとれば、竹田さんとの別れを綴った歌ではないと思う。
ただ、「アネモネの白い花は別れによく似合っていた」というコメントと、竹田健二ディレクター追悼コンサートで歌われたという事実。 時期的にも相まって、時を経て、この曲を歌うと千春は、竹田さんを思い出すのだろうと。 - 自分は、この曲を聴くと竹田さんと、彼をなくした千春の悲しみを想ってしまう。
1990年代、リクエストでワンコーラスでなら何度か聴いた。
自ら歌った場面は、後半から、アンコールで弾き語りが追加された1990年春のツアーでのリハーサルだという。
そのことは、当時のファンクラブのバックステージノートに書かれていて、そのライターは、「あの日から封印した曲」と綴っていた。
あの日ってどの日だよと、もっと突き詰めて本人にインタビューとってくれよ。- とは思ったが、多くのファンは「白い花」=千春の竹田さんへの想い、悲しみを感じるのだろう。
- デビュー35周年、春のコンサートツアー。
- ツアーでは初めて、本編ラストに「旅立ち」が歌われた。
直前のMCで、 - 「こうやって、35年経って、みんなの前でわかったことが1つあります。昭和52年8月27日竹田さんを失いましたけど、それ以来、お前たちみんなが竹田さんだったんですね。みんなが竹田さんだった(ツアー前、プレミアムライブ後にラジオで発言したのが最初)」
- 千春にとっては、ファンへの最大級の感謝の言葉だったのだろう。
そして、「旅立ち」である。
そりゃファンならウルッとくる。
でも、天邪鬼な自分は、その逆だった。
松山千春ほどのシンガーが、何を今更と思った。
また、そんな言葉を口にしなくてもいいから、歌声・歌心で感じさせてくださいと。
だけど、そのとき思った。
もしも、あの言葉のかわりに、「白い花」を歌い「旅立ち」に繋げてくれたら。
どうな歌声だろうが、どんな言葉よりも、震えがとまらないほどの感動だったのだろう。
この先、「白い花」が、千春自ら歌われることがあるのだろうか。
ときどき思うのです。そして、数日後に控えた母との永遠の別れには花と感謝の言葉を贈ろうと思うのです。
◆歌詞
◆松山千春全作品に思うこと~全作品解説1977-1980 インデックス1
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