「松山千春 『足寄より』に思うこと~松山千春 全作品解説219~」S2843

 

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◇更新履歴
V1.0:2015.02.24 初稿

V1.1:2021.10.03 追記

 

■ 「足寄より」 編曲者:青木望

1977年6月25日発売のアルバム『君のために作った歌』のLP A面6曲目(CD6曲目/全12曲)

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◆所有収録CD・アルバム『君のために作った歌』

◆所有収録アナログ・アルバム『君のために作った歌』

◆所有収録ミュージックテープ『かざぐるま』

 

◆レコーディングミュージシャン(楽曲個別ではなく『君のために作った歌』全体のクレジット)
01. ドラム:宗台春男、渡嘉敷祐一
02. ギター(AG):金成良悟、石川鷹彦
03. ギター(EG):芳野藤丸
04. ベース:長岡通夫、後藤次利、高水健司
05. キーボード:大原繁仁、大谷和夫、栗林稔

 

◆2021.10.3 夢野旅人

2021年9月26日放送の「松山千春ON THE RADIO」。

番組の前半から、9月19日に亡くなられた弟・松山明人さんについて話され、番組のラストに「足寄より」がかかりました。

 

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ま、私事ではありますが、今年になって1月16日に、母さんを亡くし、9月19日、先週です、弟を亡くし。
ま、生前、明人、色々関わってくれた皆さん。
本当にこの場を借りて、兄として、ま、お礼を申し上げます。

なんといっても、明人は30のときに、一回り年上の42歳のいさこサンと一緒になりました。
いさこサン、今、74になったかな。
何せ、俺よりな、8つ上ですからね。
8つ上の妹がいるんですから。

で、いさこサンが、「明人さん、最後は足寄に帰りたい、帰りたいと言ってましたよ」。
えっ、アイツ、俺の前でそんなこと、一回も言ったことないし。
北海道なんか、すぐ出て、な、東京で、ま、結局は、神奈川の川崎だったんですけどね、最後を迎えたんですけど。

そんな、帰りたいっていう・・・俺に一言でも、言ってくれればな、う~ん、ま、陸路が駄目なら、海でも、どんなことしでもな、帰してやりたかったと思いますが。

ま、自分、松山明一家では、唯一残った者として、ま、父さん、母さん、姉ちゃん、明人にな、恥じないような、フォークシンガーとしての道を
また、これからも、歩み続けていきたいと思います。

今回も、最後までこうして、付き合って頂いてありがとうございます。
最後の曲は、やはり兄である私、松山千春の曲で「足寄より」。
「足寄より」O.A

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放送の全文はこちら

 

◆2015.2.24 夢野旅人

松山千春の生まれ故郷・足寄町。

 

 

時代が流れたとはいえ、ファンならずとも我々の世代では、日本で一番有名な町。

1980年代。

千春が参加した盆踊りには町外、道外から沢山のファンが集まった。

夏休みは、実家前の駐車場は賑わい、ツアーの観光スポットとしてバスもひっきりなしに停車していた。


そのころの人口は約12,000人(2010年調べでは7,610人)。

これといった観光名所もないのに、自分も現在までに10回ほど訪れた。


あのころから思っていたこと。

デビューして、社会現象となるほどセールスを記録していたシンガー。

いわば時代のスーパー・スター。


実家に顔を出さないならともかく、

盆や正月はもちろん、時間が許せば実家で過ごしていた千春。

オフの日は、静かに過ごしたいと考えるのが当然のこと。

それにどんなファンがいるかも分からない。


なのに、実家には目印代わりに大きな自画像が、現在でも屋根に掲げらている。

観光スポットとして許諾したのも、町に少しでも貢献できればという思いもあったのだろう。


なにより、千春は故郷主義を貫いて、故郷を歌ってきた。

それらの歌をきいて、足寄に憧れや興味を抱いて訪れた人たちを拒むはずもない。

それは自身の歌に対する責任のようにも思える。 

それ以前に、千春は皆を信じていたのだろうと思う。


そんな、開けっぴろげで、おおらかな人間性は、

北海道の風土だからこそ、培われるのだろうと、都会育ちの自分は思う。

 

前置きが長くましたが、故郷を綴った歌が多い松山千春。

その中で原点ともいえる「足寄より」。

高校を卒業した1974年、18歳のお盆に開いた足寄公民館での「10円コンサート」で歌われている。

 

故郷のことは俺に任せてくれ。

でも何かあったらいつでも帰ってこい。

 

そんな思いを込めたという。

80年に入ってからステージで歌ったのは、1986年8月8日のステージでの弾き語り。

ツアーにおけるフルバンドでの初演は2002年秋。

その後は、2006年秋弾き語り。

実質的には、足寄からスタートした2008年秋の一曲目で歌われています。

「足寄より」から始まり「我家」で終わる本編の一部でした。

 

最後のフレーズの、

~それでもお前の故郷だろう~。

 

当初は、

~それでも たったひとつの 故郷だろう~
と歌ってた。

 

今でも、その日の気分でそう歌うことがあります。

 

みのや雅彦が、 「羽幌より~憧れのフォークシンガーへの手紙~」という歌を千春へのオマージュとして綴っているが、

 

地方の町名がタイトルとなった曲は稀有。そんな現状で、「足寄より」は、日本一知名度のある曲かなと。

 

◆歌詞

もどっておいでよこの町に 

都会の暮しにつかれたら 

あいかわらずの いなか町 

それでもお前の故郷だろう 

 

誰にもいわずに出てったけれど 

俺にはすぐにわかったよ 

小さな時からいなかはいやだ 

そんな事いってたお前が浮ぶ 

 

家の人達に連絡したか 

お前の父さん 心配してたよ 

お前の妹も高校3年 

俺の嫁さんにとってしまうぞ 

 

お前の手紙に書いてあるのは 

楽しい事だけそんなにいいのかい 

意地を張らないで話してくれよ 

俺とお前は友達だろう 

 

もどって おいでよこの町に 

他の仲間たちも気にしてたよ 

ついこの間もみんな集り 

お前のうわさも出ていたんだ 

 

あいかわらずのいなか町 

それでもお前の故郷だろう 

それでもお前の故郷だろう

 

◆A. 松山千春全作品(解説)に思うこと ~松山千春 全作品解説1~ インデックス1 (1977~1980) 

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