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■ 「On the Radio」 編曲者::奥慶一
1984年3月21日発売の17枚目のアナログシングル。
□2014.4.12 夢野旅人
あるとき、北海道の悪友がいった。
「『On the Radio』を聴いたとき、松山千春は終わったと思ったもん」。
自分が千春ファンであることを知る北海道出身の彼。
自分の反応を見るために悪態めいた発言を投げかける。
彼にとって、同郷の松山千春は今でも気になる存在なのだ。
1984年「On the Radio」。
今聴くと違和感は感じられないが、当時はシャネルズのようなアメリカンポップなジャケットも含めて、異彩を放っていた。
彼ほどではないが、自分も違和感を感じた。
正直、千春には似合わないと思った。
シングルにするのであれば、同時期にレコーディングされた「優しい風」にすべきと思った。
アルバム『 愛を贈る』の収録曲の中で「優しい風」が一番人気が高かった。
赤い薔薇を抱えている千春の写真。
雑誌のアルバム広告には、「優しい風」の歌詞が記載されていた。
レコード会社も、アルバムのトレーラー的役割をこの歌に託した。
時代が、大衆が好んでいたサウンドでもあり、抑え気味に歌う千春のヴォーカルは新鮮だった。
新鮮だけど、「On the Radio」のような違和感はない。
松山千春をあまり聴かない同級生たちにも、「優しい風」は、うけがよかった。
なのに、シングルは「On the Radio」だった。
今でも思う。
せめて、両Aシングルで「優しい風」だったらもっと売れていて、最高位4位に甘んじたアルバム「愛を贈る」も首位を獲得できたのではないかと。
1984年5月19日に発売した稲垣潤一のアルバム『Personally』は首位を取れなかったのではないかと思う。
ラジオ。
1970年から1980年前半。
テレビほどではないにしても、影響力のあるメディアの一つだった。
家庭にテレビは、一台だったころ。
僕らは、部屋でラジオを聴きながら勉強をしていた。
オールナイトニッポンや、谷村新司とばんばひろふみの「青春大通り」など面白い番組がたくさんあった。
ラジオはテレビと違って誤魔化しがきかない。
パーソナリティーの人間性が出る。
話せなければ、番組・ラジオは成立しない。
なによりリスナーとパーソナリティーが一対一となる究極のメディアである。
たとえば、中島みゆきや松山千春にはがきを読まれれば、彼らと会話をしているような思いになる。
ラジオのパーソナリティーは聞き手ひとりひとりに語りかけ、リスナーに聴いてもらいたい、贈りたい歌をかける。
テレビにはない心の通うメディアがラジオだと思う。
1984年といえば、まだ現在ほどラジオ離れとなっていない時代である。
しかし世間の興味は、徐々にラジオよりも、観て楽しければいいテレビに移行した。
1982年10月から始まった『笑っていいとも!』や、1983年4月から始まった土曜深夜の『オールナイトフジ!』など、軽チャーと揶揄されるお笑い路線や、テレビで女性の裸が節操なく流されるのが当たり前となっていく。
メディアの在り方を考えてほしい。
そして、ラジオの素晴らしさをみんなに伝えたい。
アマチュアのときからラジオに出演して、ラジオで育った千春にとって強くそう思ったのでしょう。
ゆえにあのタイミングで、 「On the Radio」はシングルとなるのは至極当然のことだと思える。
そう思うのだけど「優しい風」がシングルだったら・・・と、そしてその結果も見てみたいと。
「On the Radio」を聴くと、悪友の一言と「優しい風」を思い出すのです。
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