「松山千春 『窓』に思うこと~松山千春 全作品解説14~ V1.2」S2135/R



この記事の最新ヴァージョンはこちらをクリック

◇更新履歴

 

V1.0:2014.2.13 初稿

 

V1.1:2015.7.04 文章を追記。

 

V1.2:2017.8.20 是正。


■ 「窓」 編曲者...清須邦義

 

1979年3月21日リリースの6枚目のシングル。

◆2015.7.04 夢野旅人

 

2015年春のツアーの3本目となる茨城。

 

アンコール、久しぶりに歌われていた「七つちがい」と入れ替えた形で「窓」が歌われた。

 

茨城を見た人たちに感想を訊くと、「いや、よかったよ」と云う。

 


佐野のアンコール。

 

「懐かしい曲を」といったので、「窓」かなと思ったら、「七つちがい」だった。

 

懐かしいというなら、「七つちがい」よりも、「窓」だろう。

 

いや、そんなことより、まどろっこしい。

 

2曲歌ってくれたらいいのに・・・と。

 

13年春イレギュラーで数回、歌った公演には縁がなかった。

 

茨城以降、歌われず4月が終わり、5月も終わりに近づいた。

 

あのバンドでのフルを聴いてみたいのだけど、今回も駄目かな。

 


 

 

そう思っていた5月28日 東京2日目、 18(全29)本目のステージ。

 

アンコール。
「何々、歌ってください」と男にリクエストされた。

 

男のリクエストなんで、絶対、受けないぞと思うながら、きいてください。

 

と、「窓」のイントロが流れた。


圧巻だった。

サビは上げきったところで、持続させてのリフレイン。 

 

難易度の高い曲をオリジナルキーのままで千春は歌い切った。

 


前回、自分が、聴いた2007年春

 

(メンバーが大幅に入れ替わった5人編成のツアー「自壊」)。

 

そのときの、感じたチープな印象は微塵もなかった。

 


歌声にスケール感、アレンジすべてが8年前の演奏を凌駕していた。

 

今持てる力を振り絞るような渾身の一曲だった。 

 


歌いだしや間奏、演奏後、終演後のリアクション、感想をきいても、この日の一曲だと思えた。

 

その後<千春は思い出したかのように、

 

広島から、加古川、大阪二日目、福岡、札幌初日の5公演で、「窓」を弾き語りで歌った(弾き語り→フルバンド)。

 

1988年夏の猫魔から27年。

 

あの日をも凌駕するような「窓」がきけて嬉しかったです。

◆2014.2.13 夢野旅人

 

子供のころ。

 

芸能人、特にアイドルの月刊情報誌「明星」と「平凡」が流行った。

 

当時、本当の意味で女子だった女子たちは、お気に入りのタレントの切抜きを下敷きに挟んでいた。 新御三家はもちろん、ピンクレディー、世良正則とかKISSとか。

 


そんなアイドル情報誌に松山千春も載っていた。

 

GBとかの音楽雑誌ではさだまさしと比較されることが多かったがルックス的には今ひとつ。

 

かぶっていたライバルは岸田智史(敏志 1953年4月18日 デビュー1976年11月21日)だった。 

 


当時、松山千春も岸田智史もニューミュージック界のアイドル、貴公子扱いだった。

岸田智史は、1979年4月TBS系列ドラマ『愛と喝采と』に主演する。

 

8枚目のシングルの、ドラマ主題歌「きみの朝」が大ヒットする。

 

自分は、そのころの岸田智史が好きだった。

「きみの朝/約束の日」のリリースが1979年3月21日。

 

松山千春の「窓」と発売日が同じだった。

 

次のシングル「夕陽の中で」が1979年8月21日。

 

これも千春の「夜明け」と同じ発売日。

 

「夜明け」よりも「夕陽の中で」を何度もターンテーブルにのせた。

 

「窓」よりも、「きみの朝」や「約束の日」、「夕陽の中で」が好きだった。

 

さして「窓」は好きではなかった。

 


「窓」。

 

「長い夜(86万枚)」、「季節の中で(85万枚)」、「人生の空から(48万枚)」、「君を忘れない(37.5万枚)」、「窓(37.4万枚」と松山千春のシングルの中で5番目のセールスを記録している(オリコンチャート)。

 


「季節の中で」のヒットやテレビ出演により知名度が上がった。 

 

自分自身は何も変わっていないのに周囲の目は変わる。 

 

閉塞感に似たストレスを抱いたという。 

 

そんな中でできた歌で、千春自身、納得のいかないものだったらしい。

 


「窓」をシングルとしてリリースをしたいスタッフ、レコード会社。

 

「リリースしても構わないが、ステージで歌わない」。

 

それが条件だった。

 


それでも、1979年春のツアーでは歌われた。

 

しかし、その後ツアーで歌われることはなかった。

 


歌わない。

 

そういわれると、聴きたい、欲するのがファン心理。

 

ライブで「窓」が聴きたくなった。

 

もちろん、ワンコーラスではなくフルコーラスでだ。

 

こちらも、それが条件だった。

 

80年代。

 

いつも自分は、「窓」が聴きたかった。

 

ただ「窓」をどれほど好きだったかは、定かではない。

 

実際、岸田智史の「きみの朝」や「夕陽の中で」のほうが好きだったわけだし。

 

リクエストで、

 

ワンコーラスは歌うものの、フルコーラスでは歌わない1980年後半。

予想だにしないところで突然フルバンドで歌われた。

 

1988年夏の猫魔での野外イベント。 

 

地元の村おこし的な要素も強かった。

 


村の青年団が「これ歌ってください」とリクエストされた曲の中に「窓」があったという。

 

えっ、それだけの理由・・・で。

 

その程度のハードルの高さだったのか。
あの「窓」は油断したというか、意表をつかれた。

 

2004秋 長良川でのアンコール。

 

リクエストに応えて「窓」をワンコーラスハーフ、弾き語りで歌った。

 


フルコーラス未満だと曲の歌の魅力が半減する。

 

そう思っている自分だが、この弾き語りはよかった。

 

感動に値する歌声だった。
この「窓」を聴けたのなら思い残すことはないかなとさえ思った。

 


2007年春のツアー「自壊」。

 

市川公演本編一部のラスト。

 

イントロが流れたとき、あれ、何だっけこの曲と思った。

 


えっ、「窓」じゃん。

 


数秒経って気がついた。 

 

1988年夏から19年、2度目のフルバンド演奏。

 

どういうこと? 

 

昨年末から体調を崩し「自壊」なんて歌が生まれるくらいだから、

 

メニューの選曲に「挫折」や「窓」といった内省的な選曲が多いのか。

そんなことを、

 

考えているうちに演奏は終わってしまった。

 

二部が始まり、

 


「窓」にふれて、。

 

ドラムの(佐藤)強一が、

 

この曲のドラムたたきたい。

 

というので歌った。

 


と。

 

 

 

なんだよ、またスタッフ側からのリクエストかい。

 

と思うも、演奏リストにはあらかじめ選曲されていたんだなと。

 

このツアーで何度か「窓」を聴いたが、

 

正直なところ全体的にチープな印象で物足りなかった。

 

2013年春、このツアー「窓」イレギュラーで披露、神戸でも演奏された。

 

それを聴いた友人の感想は、

 

「窓」を熱唱。 

 こんな良い曲だったのかと思いました。   

「炎」並みの出来栄えでした。 

 

これはみんなに聞かせてあげたい。

 

 

 

バンドは今が黄金期。

 

2007年春は、夏目、好永、春名さんたちが外れていた。

 

現在のバンドで聴いてみたかった。

 

今度は聴けるのはいつなんだろうと。

 

気長に待っている一曲です。

N現在、以下の検索ランキングにエントリーしています。
よかったら、アクセスして頂けると嬉しいです。

 
 一日一回、ライキングポイントが加算されます。
よろしくお願いいたします。
 
 にほんブログ村      
 
アーティスト・グループ(音楽) ブログランキングへ   
 
人気ブログをblogramで分析    

ブログ&成分解析  
 
http://blogram.jp/users/analyze/?uid=138678
---------------------
YUMENO BLOG ~愛のうた::愛した季節の薫り~ 夢野旅人