少し前の続きです。
私は何にも資格を持っていないのに、クリニックで働くことになりました。
当時そのクリニックは、近所の高齢者が大勢受診していました。
私はそのクリニックにある薬局に配属されたのですが、当時婦長(この時代は看護婦でした。)しかおらず、薬剤師はタマsにバイトの方が土曜日にに来てくれるだけでした。
院長は向上心の高い方で、町医者なのにCTと胃の内視鏡もありました。
もちろん新しい薬を試してみるのも大好きで、この規模の町医者でこんなに薬があっていいのだろうかと言うほどの種類の量でした。
まずは空いている時間にすべての添付文書をノートに書き写しました。
その数は何百種類でしょうか。
一般の内科の薬の他、精神科で出るような薬や漢方も主だったものは用意してありました。
1日平均100件くらいの処方箋が回ってきます。
それを処方箋通りに作って、手書きで薬袋も書き、婦長さんに見て貰います。
シロップで子どもも風邪薬を作ったり、粉の風邪薬や胃薬なども乳鉢で混ぜて作っていました。
薬を数種類以上飲んでいる高齢者には、分包機で一つの袋に入れてあげます。
これを続けていたら、とうとう婦長さんが午前中は訪問看護に出るからと、私と事務のパートのおばさん二人で午前中をやることになりました。
この頃から、少しずつおかしくなってきました。
婦長さんに薬を間違えたら患者さんが死んでしまうと、入職当時に言われたことが忘れられません。
来月もお元気で患者さんが来てくれるだろうか?
私が薬を間違って、重大なことが起こらないだろうか?
確認行為が酷くなり、お薬を患者さんにお出しするスピードも落ちてきました。
院長の奥様が、指で机をトントンと叩いて、薬を催促します。
お昼休みには、粉の薬を測り間違えてないだろうかと、作ったものを隠れて計り直したりしていました。
仕事が終わって家に帰ってきても、部屋の隅で体育座りになり今日の仕事が間違っていないかとずっと考えています。
ストレスで胃を悪くして、病院の胃薬をほぼ全部試してみましたが、ストレスです辛い薬は大して効きはしませんでした。
1999年5月に日本で最初に発売された選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)の発売が決定し、私の職場でも製薬会社が勉強会を開いてくれました。
いつもそんなに興味なく聞いていたのですが、今回は強迫性障害に効く薬と聞き、いてもたってもいられませんでしたz。
すでに私はトイレに行った時にそのまま裏口から逃げ出したいくらいに追い込まれており、体重もずいぶん減ってしまい、もともと痩せていたのですが、骸骨のようになってしまいました。
私は高校生以来初めて、精神科に受診しようと、SSRIを服用して少しでも楽になりたいと思いはじめました。
強迫は酷くなっており、通勤時車で石を踏んだだけでも止まって車の下を確認したり、通った道で人を轢き殺したのではないかと戻ってみたりと生活にかなりの支障が出ておりました。
他にも仕事中にも色んなことで支障がでていましたが、これは割愛させていただきます。
受診を決意したものの、県内の精神科で走っている製薬会社や薬の問屋さんに見られてしまうかもしれないという不安がありました。
そこで私は、東京の病院に行くことを決意しました。
行きやすい場所にあり、精神病院ではなく、総合病院の精神科を探していました。
そこで思い出したのが、専門学校時代新宿でよく近くを通っていた某大学病院のメンタルヘルス科です。
私は2週間に1度通院することになりました。
初診では、今これだけ追い込まれていることをうまく伝えられず、軽い強迫性障害くらいに思われていました。
私はパソコンで今の症状をまとめて、プリントアウトして持って行ったのですが、渡せなかったのかもしれません。
主治医がはっきり決まって、初めてお渡しして医師は私の置かれている状態にびっくりしてくれました。
お薬も出してくれました。
本当に飲んでいない時とは比べ物にならないほど、気持ちが楽になっていったのですが、それ以上にもうこの仕事が辛くなってきました。
通院しながらも、薬剤師でも入ってくれないかと思っていました。
仕事は忙しく、私と院長がお昼休み15分ということもありました。
私の知り合いの薬剤師が仕事を紹介して欲しいといってきたので、すぐ院長に紹介しました。
院長も知り合いの薬剤師に来てもらう予定だとおっしゃっており、もしかしたら私はこの精神的に苦しい思いから解放されるのではと思いました。
二人薬剤師が入り、私は精神的に楽になりました。
しかし院長は診察室で自分の隣に座り、事務(同じ薬の処方箋を書く、検査の伝票を記入して検査技師に渡す)をするように言われました。
処方箋は、もちろん院長が確認してくれるのですが、チラッと見るだけで私は心配で仕方がありませんでした。
薬局に行って薬剤師に、間違えていたら教えて欲しいとお願いしておきました。
検尿の紙コップも私が片付けることになり、不潔恐怖の私は気が変になりそうでした。
検便の容器も検査技師に渡したりしなければならず、薬局を出られても全然良くなってませんでした。
ますます痩せていき、胃が痛すぎて背中が痛くなり、膵臓が悪いのではと検査もしました。
精神科の薬の副作用で手が震えるようになり、看護師達が甲状腺が悪いのかもしれないと院長に進言して検査もしました。
もちろんなんでもありませんでした。
ますます私が痩せて行った時に、准看護師の女性が妊娠して、私の場所に来るようになりました。
私は電気治療室に異動となりました。
看護助手の仕事になりました。
ここでも女性のパワハラを受けたり、看護師の使用した注射の針が気になったりはしましたが、まだ今までの仕事に比べれば気が楽でした。
パワハラのせいで、看護師はすぐに退職して、私の少し前に看護助手で働いていた女性は、私と二人で呼び出され理不尽に起こられた時に、泣いてしまい今にも辞めそうな感じでした。
そんな中でも、後輩の結婚式ではプロフィールカードを作って欲しい、余興や受付などを頼まれ、職員みんなで協力してやったり、みんなで登山をしたりと、人間関係はうまくやってきていました。
その後、少し前に新たに始めたデイサービスに異動になりました。
これは私にとって、本当に地獄、不潔恐怖が確認行為と同様に酷い私が、果たして介護などできるのでしょうか?
休みの日にヘルパー2級の資格をとりにいきました。
実習の日さえ、欠勤扱いで給料を減給されました。酷い職場だと思いました。
薬局では薬剤師が一人辞め、薬の問屋の営業が働いていました。
私と同じ内容の仕事をしていました。
もう一人の薬剤師が産休を取ると、私は薬局に戻されました。
問屋の営業が免停になった時も、駆り出されました。
やっとデイサービスになれたと思えた頃には、訪問看護師と一緒に訪問に出るように言われました。
私は初めて人の死と向かい合った時でした。
何度も泣いて悲しい思いをしました。
強迫性障害の症状は一向に良くならず、当時の主治医には入院すれば良くなると言われていました。
働き初めて9年目の夏、お盆休みに合わせて入院を計画し、前日に院長にそれを告白して、私はメンタルヘルス科に入院しました。
これがきっかけで、私はこの職場から追い出されることになりました。
長くお読みいただきありがとうございました。
そして、このブログは別のブログに移行する予定です。
新しく始めるブログにもいらしていただけたら幸いです。
新しいブログは明日初めての記事を上げる予定です。
内容は被ってしまうと思いますが、ここは悲しい記事が多過ぎるので、心機一転、一から出直したいと思います。
たまには記事はあげるかもしれません。
その時はまたよろしくお願い申し上げます。