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ここで海印寺の全体的な建物の配置を簡単にご説明します。
この一柱門から八万大蔵経がある所までは一直線で門と殿閣が繋がっています。その両側に大小のお寺の建物が位置する構造です。

それでは八万大蔵経がある所まで順にご覧いただきましょう。

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一柱門を過ぎると高さ数十メートルの木が門番のように生えている 「千年の道」が広がります。その中でも右側にある立ち枯れたこの木は残念なことにすでに枯れていますが、802年に海印寺の始まりを知らせた木です。当時、王妃が病気にかかり、王は大変心配していました。そこで、徳の高い二人の僧侶が祈祷をすると、王妃の病気が治りました。王が感謝を表すため、二人の僧侶の修行の地に建てたのが、ここ海印寺です。このケヤキは、当時の王が記念樹として植えたものと言い伝えられています。千年を越える長い年月、ここに立っていた木は、1945年にその命を終えました。

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鳳凰門
お寺の守護神「四天王」

「海印叢林(ヘインチョンリム)」と書かれた額がかかった、この門は鳳凰門です。「叢林」というのは、お寺の中でも僧侶の参禅修業と教育のための機関とシステムをすべて備えていることを意味します。「叢林」は海印寺をはじめとして全国でも5つしかありません。

また鳳凰門は「四天王」を祀った祠堂です。「四天王」とは、仏教世界を守って悪を追い払う4人の守護神です。それでは、中に入ってみましょう。四天王の姿が壁画に描かれています。韓国の他のお寺では普通、木で作られた四天王の彫像が立っていますが、ここでは壁画になっているのが独特です。これもまた火災が多かった海印寺で四天王像が焼失したためだと言われています。少しばかり恐ろしい顔の四天王は、仏教界の中心にあるという山「須弥山」を四方から守っています。東西南北から攻撃してくる邪悪な邪鬼を追い払うために、少しずつ異なる姿で立っています。東を守る四天王は、刀を握っており、西を守る四天王は琵琶を持っています。南を守る四天王は龍を掴んでいて、北側を守る四天王は宝塔を持っています。

壁画の下の部分をご覧ください。
四天王の足元で苦しんでいる彼らは邪鬼です。お釈迦様が生きている須弥山にこっそり登ろうとして、四天王に捕まったのでしょう。四天王は、悪い心をもった人々も捕まえるといいます。

このように四天王像はお寺を守って悪い邪鬼を追い返すという意味で、お寺の入口に立てられています。

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解脱門

一柱門と鳳凰門を通って、一柱門からここまでの階段の段数は全部で33段です。仏教の世界観では想像の山である「須弥山」が世の中心にあり、その山頂には極楽世界に向かう33の空があると考えました。この階段はその33の空を象徴化したものです。

階段を昇りきると韓国の伝統家屋のような建物があります。これが海印寺の第3の門である解脱門です。「解脱」とは、仏教で言われる悟りの最後の段階です。解脱門は、漢字で、否定する不に二つと書いて不二門とも言います。不二とは、根本真理が二つではなくただ一つという意味で、一を悟れば百に通じることができるといいます。貴方と私は二人でなく、出会いと別れも、始まりと終わりも、生と死も二つでなく、すべて一つだと悟ることが、すなわち解脱の境地を意味するといわれています。

海印寺というお寺の名前についてご紹介します。漢字で海の印と書く「海印」は、仏教経典である「華厳経」の「海印三昧」に由来するものです。「海印三昧」とは、海の波風が静まれば、世の全てのものが印で押されたように、海面にそのまま映るということで、あらゆる煩悩が消えた静かな悟りの状態、すなわちお釈迦様の心を意味します。したがって海印とは、お釈迦様の知恵によって万物に対する悟りを得るという意味があります。

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九光楼

解脱門を過ぎると、正面に2階建ての建物が見えます。ここの名前は「九光楼(クグァンル)」で、漢字では九、光、楼と書きます。

海印寺にある建築物すべての中央にある九光楼は、本来は四方が一目で見れるように門と壁がなく、高く建てられた楼閣でした。昔は年配の方や、地位の高い僧侶だけしか仏殿に出入りできなかったため、この楼閣は、仏殿に入ることのできない一般の庶民が集まって一緒に祈祷をし、説教が聞けるように仏殿の前に作られた建物です。現在は海印寺の総合広報館として使われています。中にはcafeがあります。

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海印寺↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%8D%B0%E5%AF%BA%E5%A4%A7%E8%94%B5%E7%B5%8C%E6%9D%BF%E6%AE%BF