本当に色んな想いがあった2012年が終わる。もう目の前に2013年がある
2013年への希望を描いてエピソードを終わろうと思う


夏の終わりにハンデを感じバタバタだった時、母に「僕は仕事が出来るかな」と聞いた事がある。引っ越しを考えた時に感じた壁…それは出来る事をしっかりやる事の難しさと出来ない事は認める事と言うこと。僕には出来ない事は無いって気持ちがずっとあった。でも全ては不可能で限界がある事を身をもって感じた。ならば…出来る事を増やす!今出来てる事にもっと自信を持つ!先日小学校でお話をした際に、対応が悪くても自分で組み立てが出来て話は出来ました。困難な状態をある程度自力で出来るのは自信になり、人前で話す事が好きと強烈に感じた。僕は話せるし、ご飯は食べられるし、目も見えて耳も聴こえる。幸せだと思ってる。2013年は人前に出てコミュニケーションを大切にやって行きたい!目立つなら更に目立つ事が僕の生きてる役目と感じる。そして仕事が出来る様に頑張ろうと思う。いつも笑って居られる様に明日からスタートです(^O^)
2012.12.31
今年も半月を切り激動の一年が終わる。今回は祖母の死から恋愛までの繋がりを書いて行く…
2月17日の夜中。背中の激痛で祖母が入院した。母と妹が帰って来て「婆ちゃん実は肺がんなんだ…」と二人から告げられた。半年前に告げられて居て祖母の一番近くに居た僕には伝えられなかったと言われた。何となく気付きながら過ごしていたから理解出来た。その入院する最後に見た自宅での顔で今回はマズイと思っていた
2月20日、祖母が入院して4日目の夜。僕は普通に自宅でテレビを見ていた。そこに帰ったはずのヘルパーさんがダッシュで来たのだ…一瞬で意味が解った。僕が「婆ちゃんの事ですね」と聞くとヘルパーさんは「そう。急いで行くぞ」息が無いと覚悟して僕は病院へ向かった。病院から病室へ…息はまだあった。ホッとしたと共に今回は婆ちゃんでも頑張って生きる事が可哀想になった。かれこれ10年、透析に通ってて…何度も覚悟した事があり、何度も奇跡を起こした根性を見てきたから無理はもう要らなかった。妹も間に合って何時間持つかの状態だったので車椅子の僕は母から一回帰って良いと言われた
祖母は母の母なので母に居てもらい妹に帰してもらった
そして妹が再び病院へ戻ったら亡くなったと連絡が来た。きっと祖母は僕に亡くなる姿を見せたくなかった様な気がする…
僕は見たくなかった…琴と茶道の先生としてもカッコ良くて祖母に憧れた。葬儀の時にも悲しみより感謝でした
祖母の描いた幸せは叶ってて、本人の余生を書いた日記や言葉通りに生きた事には素晴らしさを感じた。婆ちゃんありがとうo(^-^)o
この事をきっかけにメールや電話で個人的に信頼していた方と恋愛をし一時期は引っ越しも考えた事がある。理由は祖母と同じ日に親族を亡くしたと聞いた事と僕が寂しいと電話した方だったから…何か感じて必死にやったけど僕には限界が来た。失敗したとも無理があったとも思いました。今でもわからない事が有り辛いけれど人生は勉強と痛烈に感じました
そして身体のハンデもハードルと初めて思いこれからに活かしたい
「生きてる事を意識して強く生きる」
新たな目標が増えたから頑張ろう(>_<)
エピソード3は未来の事も書くのでよろしくお願いします
あと1ヶ月で今年も終わります。色々あった今年をエピソードで分けてfacebookとアメブロに書いて行きます。よろしくお願いしますm(_ _)m


今年を振り返るのにはまだ早いかもしれないが、書いてみる。2012年は年明けから大波乱の予感がしていた。新年明けて4日後…一人の方が亡くなられたと情報が入った。高校の時の同級生のお母さんだった…卒業後会った訳でもない。ただ頻繁に電話をしていた。僕が講演と言う形で話始めた頃、不安になるといつも元気をもらっていた。数年前、高校の同窓会を開く時に一人一人に連絡をしていた。その際に一番喜んでくれた人。生きていたら会わないとわかっていた方。告別式には行きたくなかったが母と約束をして行った。「僕は顔は見ないから。生きていて声を聞くのが元気なサインだからね。見ないなら行くよ」って。本当に顔を見ないで帰りにお守りを買った。そのお守りが今年のお守り…忘れない。ここに書くのは変だけど2月に亡くした祖母の時よりダメージがあった…急にと言うのはやはり辛い。長くなりそうなのでまた他のエピソードは後日…