初めて話すよ人に。


小さい頃から幼稚園の先生になりたかった。
子供が好きだったし、子供にも好かれた。
子供の集団を扱うのが得意。
発達や教育の分野に興味があった。

が、英語も好きだった。
勉強してみたら成績もすごく上がったので、英文科と幼児教育科と迷ったが、そういえば文学には興味無いなと、幼児教育科に進んだ。
東京の短大。

卒業したら地元に帰る約束だった。
東京に居たい!と父に頼んだが、答えはNO.

週末は東京に帰るキラキラと決めたが、当時 地元には週休2日の企業は金融機関くらいだった。
教育実習の幼稚園は厳しすぎて全然楽しくなかったし、日曜日しか休みがないし、幼稚園就職は 却下。
当時バブル時代で人気だった、証券会社に就職。

人間関係はとても自分に合っていて、人に恵まれ、上司や、女の先輩、お客さんにかわいがっていただき、居心地はとても良かったが、仕事の内容は自分には全く合っていなく、興味もなく、証券会社窓口に毎日座りながら、1年経った頃、
来年アメリカ行っちゃおう!と決めた。

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来年行こうと決めた頃。にじゅっさい。



留学には興味があった。
学生の時、父親が心配だからという理由で行かせてくれなかった=資金を提供してもらえなかった。

今思えば、普通の留学なら 資料を集めて 説得すれば 許してもらえたのかもしれない。せめて2週間ほどの短期でも。

しかし、私が興味を持ったのは、
夏休み中、現地の大学生が故郷に帰って空いている大学寮に入寮しての短期留学や、多国籍参加者と一台のバスで キャンプしながら行く、アメリカ大陸横断ツアーなどに行きたがった。


父に『突飛なことを言うな』と一蹴されて、私も腹を立てた。『なぜ このオモシロさを分かってくれないんだ!』それから説得もお願いも一切やめた。


自分で貯めて、勝手に行ってやろう、と決めた。


自分の夢を実現するには
『知力、財力、行動力』なんだ、と痛感し心に刻んだ、18歳だった。


そんな経緯から、
証券会社に勤めながら、英会話教室に通い、ぼんやり留学を考えていた。アフター5も楽しみながら、東京にも遊びに行きながら、友達と旅行に行きながら、、、だったので、貯金はできなかった。留学なら200万円くらい欲しかったが到底ムリ。

インターネットなんか無かったから、情報は、留学ジャーナルという雑誌から。
そこで、インターンシッププログラムというのを見つけた。
学校の先生のお宅にホームステイし、授業を受け持ち、日本文化を伝える…というもので、授業を提供するかわりに、なんと月200ドルの食費だけで、ホームステイさせてもらえるというもの。授業内容は自由。

早速申し込み、テストにもパス。
退職。

もちろんエージェンシーに手数料などは かかったし、一年滞在する資金は用意できなかったけど、半年間のインターンシップ留学を実現する事ができた。

英語力は、英検2級程度。
まあ、普通。
英語だけでの生活には もちろん支障があるレベルだったし、ひとりで初めての渡米だったが、不安もなく、るんるん気分で出発アップ

Eメールも、ケイタイも無い時代。
友達に194(行くよ)と番号送り、ポケベルも解約。


行き先はフロリダ飛行機

乗り換えのデトロイト空港で、日本人の姿が無くなり、4時間ひとりぼっち。
空港フードコートで『ハンバーガー』が通じない!ところから、私のアメリカ生活が始まった。