2022年。中秋の名月も終って。9月中旬スタートの週。
doramusume今日のブログは?
(ΦωΦ)フフフ…たまには真面目なド真面目な話。
先週、読んだ👀記事コレ⤵
ご承知の通り。
doramusumeは教育者でない。
親としても。子供。一人産んだだけ。
それもスマンm(__)m姫。産みっぱなしの母。
若かったしねぇ・・と自己弁護。
子供の頃は。将来。学校の先生になりたい。
って。一応、フツーに憧れ的に思った。
なれなくってヨカッタと今は想う。
戦前の教育がたまたま軍国教育だった昭和の前半。
終戦ですべての価値観が変わったのでしょ?
生まれてなかったから。。知らん。な昭和31年生まれ。
学校教育現場の混乱は。
今なら想像がつくわ。だってもうすぐ66歳。
前に書いたかもだけど。
doramusumeの小学校時代。
障害のあるお友達はクラスに少なからずいた。
何処までが障害?なのだけど。
でも。気が付いた時は?
障碍者教育が。
ジュウジツというのかどうかは不明だけど。
特殊学級からそもそも学校を別にして。
親御さんの思いもあったとは思うけど。
フツーの子供は障害のある子どもを目にしなくなった現実。
doramusumeのブロ友さんには障害のあるお子さんを、
育ててる方が数人いらっしゃる。
ご縁のキッカケは。doramusuemeが、
パートで、重度障碍者施設にチョコッと通ったのがあったのね。
今は亡き夫が、在宅で療養を始めたころ。
想いはそれぞれの立場でイロイロあるから、
ココには書かないけれども。
今日のテーマ?
インクルーシブ教育。
なんじゃい?でしょ?フツー。
ウイキペディアコピーコレ⤵
インクルーシブ教育(インクルーシブきょういく、英語: Inclusive Education)とは、人間の多様性の尊重等を強化し、障害者が精神的および身体的な能力等を可能な最大限度まで発達させ、自由な社会に効果的に参加することを可能にするという目的の下、障害のある者と障害のない者が共に学ぶ仕組み[1]。インクルージョン教育と呼ばれることもある。しかし、特別支援学校・学級を「分離教育」である悪とし、健常児と同じ教室で受けさせることこそが「政治的に正しい」と絶対視する意見への反対もある[2][3]。
要するに?
doramusumeが小学生だった頃の、
学級のあり方に戻った方が良いんでないか?なのよね。多分。
もちろん先生の負担も増えるし、
そもそも親御さんの考えもあるし。
その前に、障害をもってこの世に生を受けた子供のココロもある。
ココでも、障害って何ぞや?だけどねぇ・・
一方で、最近話題の
ギフテッドと言われる子供たちも、
今の世の中に、生きづらさを感じてる。
「ギフテッドとは、同世代の子供と比較して、突出した知性と精神性を兼ね備えた子供のことである。」と、米国教育省が定義してるらしい。
doramusumeが小学校の頃。
周りには居なかったけどね。
この話、両極端なのよねぇ。。
人として生を受け、
学びの場をどこでどのように受けるのか?
義務教育の制度の根幹から考え直す時期というか。
時代なのかも知れないわね。
思い出すのは、
彼がそろそろあの世とこの世と行ったり来たりのころ。
最後までオムツは拒否した。
ヘロヘロしながらトイレに行くのを手伝ったのだけど、
その時、在宅緩和ケアの専門のDr了が教えてくれた。
排泄は人が生まれてすぐに学んだことだから。
なかなかそれを辞めろという指示に脳は反応しない。
って。
義務教育が6歳からという一律のククリだから。
イマイチ間に合わないユックリ目な進化の人と。
先に一部分だけさっさと進化しちゃう人と。
これを千差万別って言うのよね。
人として生きる上で、
義務として学ばなければいけないコトの定義から、
やり直さねばいけない21世紀以降なんじゃね?
と。doramusumeは想うわ。
こりゃ大変だ💨💨。
義務教育ってさ。
『読み書きそろばん道徳』だけでいいのよねと。
想う。
後は自分で好きに学べば何とかなるもんだわ。
じゃあ?
集団の中での自己の存在方法をどう学ぶ?
兄弟姉妹がイッパイいれば、
学校で学ばなくても自然に学べるらしい。
あはっ。
一人っ子のdoramusumeには、
う~~~ん。わかんないなぁ・・
世の中。ムツカシイわねぇ・・・
と、
真面目な話と意気込んだわりに。
結論の出ない話で(o*。_。)oペコッ