むかし、むかし、あるところに病院がありました。
?・・・日本昔話か?・・(ΦωΦ)フフフ…。。。
doramusume小さい時から、よく病院には行った方だと思います。
自分が罹患してというのではなく。親戚のジイチャンバアチャンのお見舞いの類。
父が若い頃は丈夫な方でしたので、
親戚代表の見舞いが多かったのだと。今になって思います。
その親戚が誰?は、あまり覚えていないのですけれど、
なんだかんだと。連れていかれたように記憶しています。
doramusumeが子供の頃ですので。
大きな病院に入院するっていう事は、そう先が長くない?そんな時代だったのかな?
なので、見舞いに行くと、そこにまた他の親戚がいたりして、
「や!しばらく」とか「doramusumeちゃん大きくなったね!」とか。
知らない親戚のおじさんと父が話していたり。
で、見舞いもそこそこに、病院のそばの、
今なら?カフェとか?ファミレス?とかなのでしょうけれど、
当時は、食堂。
うなぎ屋さんとかそば屋さん系・・・
お食事処?・・・
周りは見舞い客ばかり。
そこで、大人たちはビール付きのご飯。
私はうなぎが好きな生意気な子供でした。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \。
いいの!
当時のうな重が、いったい、おいくらだったのか?まったく知りませんが、
病院に行くと食べられるので、ちょっとした思い出になっています。
そもそも、ウナギはウナギ屋さんでしか食べられなかった時代だと思います。
多分、場所は川崎の近郊だったような気がするのですが・・・。
武蔵小杉だったかな?忘れちゃいました。。
なんでこんな事。今ごろ思い出したのだろう?
もう50年以上前の話です。
2019年7月25日(木)今~お昼。
午前中、久しぶりにお買い物にでたら、🚙。。。あっっちち☀な太陽でした。
梅雨~~あけたのでしょうか?
スーパーののぼり・・・👀・「土用の丑の日」
なるほど・・・
それで思い出したっぽいなっ。です。
ウナギと言えば、彼。道産子だからか?貧乏だったから?
そもそも、北海道にウナギ屋さんが無かったのかな?
ともかく、食べたことないって。結婚したころ言っていました。
なので、二人でウナギ屋さんに行ったことは一回もありません。
スーパーで出回るようになって、何度か食卓にあげましたが、
旨いと思わないって。
ウナギよりジンギスカンの方が旨い💨💨って、譲りませんでした。
その後。25~6年前かな。30年経つか?・・
母が、大動脈解離で救急搬送され、入院~手術だったのですけれど。
埼玉県の郊外の大學病院に運ばれちゃって🚑・・・
あらま~~~とおい~~な、事がありました。
本当に郊外で。・・・で周りは畑。(当時ね)
JRの駅が単線で。。。本数も少なく。
でもあったんですよ~~ウナギ屋さん。駅前に!。
もうくたびれちゃって、母の入院中、何度か一人で行きました。
もちろん、一人でビール付きうな重。
お値段?そんなの忘れちゃいましたけど、そんなに高くなかったように記憶。
美味しかった!と。言うより。付き添いでくたびれちゃってスタミナ補給💨💨。
当時の母が、今の私よりチョイ上。私は?もうすぐ40になる頃です。
結局、母は手術が大成功。
その後、すったもんだはあったけれど、20数年は生きました。
若き日の、doramusuemとウナギの思い出。
うなぎねぇ~~~。食べたい気もするのだけれど。
一人で食べてもイマイチ美味しくない。令和元年。未亡人初年の。
夏。~~~~。ε- (´ー`*)フッ。