平成最後、なにする?

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いつのころからか?
日々の生活に追われ、💨💨。
12月の次は13月よ~~って。
年の代わり目をあえて無視して生活。
年賀状は、来るもの拒まずではありましたが、こちらから出すことはなく。
ハッキリいって、ご縁に対して無頓着?無礼?そんな風に生きたように思います。
 
1956年生まれ。昭和だと31年。申年。
 
自分のこれまでの人生を、ここでちょっと総括すると~~~。
昭和にケリをつけ、💨💨。平成で踏ん張った💨💨。な62年。
 
丁度では無いけれど大体30年×2。そんな気がします。
 
三月にお一人様になって。
彼の死亡診断書。初診から16年。
👀。あらま。平成の半分。病との共存。
 
私たちの間に。「彼の病気」というクッションがあったようにも思えます。
もし、彼が病気をしなかったら?
う~~~ん。
別れていたかも?って。思うこともあります。
 
結婚したのが昭和54年。娘を生んだのが55年。ほぼ昭和の終わり。
多分、今年39歳になる娘の記憶に昭和はうっすらとしか残っていないのじゃないかな?
と。母としては思います。
 
人生や時代を、何年で区切るのか?で、
各自。想いも違ってくるのじゃないかな?と。推測。
 
皆さん、想いを背負って生きているのだから、
そのお互いの中での出会いや別れ。
時には一歩通行もあるのだけれど。
たまに歩みの中での、あらまな絡みが出てきて。
生きるとは、何ぞやね?な会話が出来るようになるのには、60年くらい必要なのかもね。
って。思います。
 
大好きな言葉。コレ⤵徳川家康さんの言葉らしい。。
人の一生は重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。
急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。
心に望みあらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事悠久の基。
怒りは敵と思え。
勝つ事ばかり知り負くる事を知らざれば、害その身にいたる。
己を責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
 
平成の時代に、たくさんのご縁を頂き、ココまで助けた頂いた私たち。
彼は写真になってしまい、残念ながら令和の時代は見られなかったのだけれど、
自宅で過ごした2年半。
いっぱいお話をしました。
その一つ一つを思い出しながら、日々を過ごせればヨシとします。
 
徳川家康さんだと、こんな意味深な言葉になるのだけれど。。
doramusume流だと。早い話。。⤵こんな感じかな?
日々淡々とまぁ~いいかぁ(^^♪
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \。