食べることの好きな彼。
私の作るものは、よほどの失敗をしない限り旨いと言います。
まぁ。。40年ですからねぇ。。。
私の母は、洋裁はプロ級だったのですけど、
お料理はダメ。
父が、「料理は習え!」と。若い頃に、それなりに習いました。
もうちっと。調理師さんとかになれるように習えばよかったねぇ。。
と思った事があります。
手に職があると、人生強い💨と。何度思ったことか⤵⤵。。
普通のお嬢様の料理教室なので、まぁ。。その程度でした。
習った教室の先生が中華の専門だったので、中華は得意。
みそ汁は苦手な、若かりし頃のdoramusume。
私が家庭料理を、今。普通に作れるのは、
彼とは一緒に育たなかった義姉(異母姉)に、教わったからです。
20年前、義父の葬儀で初めて会って以来お付き合いが始まり、
その義姉のところに年に一回、年末に米を玄米のまま頂けるようになって、
毎年30㌔(^▽^)/取りに行ったり、運んでもらったり。
その時に必ずご馳走してくれた手料理。
そこで教わりました。
梅干し作りとか。こんにゃくも芋から作るのを教わって、今があります。
その義姉。昨年の12月1日。突然の逝去。
くも膜下出血でした。
親戚一同見回して、一番元気。
70歳を超えていたのですけど、お料理が得意だったので、
食事支援のヘルパーさんとして、結構需要があって忙しく。
趣味に仕事に頑張っていました。
葬儀には、義姉がヘルプしていた利用者さんが杖をついて参列。
という笑えない話もあり。
生きるとは?なんなのか?と思わずにはいられない出来事でした。
彼は彼なりに、一緒に育ったいつも気にかけてくれる、すぐ上の姉とは、
また違った感情がありますが、妙にこちらの異母姉にもなついて、
○○さんという呼び方ではありますが、得意料理にいつも舌鼓でした。
一緒に育った2歳上の姉はパパの事を○○○と呼び捨てですが、
こちらの姉は○○○さんとさん付けで呼んでいました。
まぁ。。お嫁の私にとっては異母だろうが異父だろうが、どうでも関係ない話でして。
姉は義姉なのです。
食を大切に!とは、義姉のモットーだったようです。
もし、この義姉に出会わなかったら、
私の料理の腕は、あまり自慢できるものにならなかったと。思います。
自慢じゃないが。。doramusume。掃除はダメですが料理は自慢できます。
あ!お裁縫もダメです。( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \。
数日前。食べたいものは?の話になって。
彼の要望。
「ラッキョウ・ニンニクの味噌とかカツオ梅とか醤油漬け・もずく酢・🍙」
「食後にコンポート系のフルーツ・飲み物はメッツとかコーラ」
「奈良漬け」
要するに。酢の物系と佃煮系。&漬物系。
OK!。
なので、今我が家の冷蔵庫。
〈ニンニクの漬物系と奈良漬け。酢の物としてカップのもずく酢。簡単酢につけたキュウリ〉
そんなものが入っています。
毎回、ちょこっとさらに盛り付け、🍙とともにトレーに載せて出します。
毎回。毎食。ご飯の量。というか🍙の大きさを小さく調整して、
なんとかおかずが完食できるようにしています。
今更塩分は関係ないですが、もちろんおにぎりは無塩です。
そのほかの塩分は気にしません。
忙しいときはグラタン系。
一日三食が昨日あたりから二食になりつつあります。
まぁ~いいかぁ(^^♪です。
食べたいものを食べたい量。
体の欲するままに。です。
今日は朝ご飯。9時に食べてお薬飲んで、そのまま。まだ寝ています。
お昼。お薬だけでも起こして飲まそうか?と只今検討中。
昨日の訪問診療で、トイレの使い方をコンコンとDr了が説明してくださいました。
その件は次回。
今日も太陽さんがいい仕事をしています。(^▽^)/。