末っ子長男の彼。

北海道の、とある炭鉱町の生まれ。

 

高校はその近辺の進学校に、

越境では無いけれど汽車で通ったと言います。(学区制度がコロコロ変わっていましたものね

勉強はした!と。言います。

お義姉さんたちも、彼は勉強家だったと言います。

なので、本当だと。思います。

 

私はよく知りませんが、まぁ。・・地元の名士で、

その高校の出身なら、もしかして自慢できるレベルのようです。

 ちなみに私の高校の恩師もその高校の出身。彼の実家に由緒はありませんが出身高校は由緒正しいっぽ。

 

大学は北海道内の国立大学。学費がお安かったですからね。。

彼のお義父さん。私は「やんちゃ」だったと。このブログではご紹介。

本当は、群馬県の田舎の農家の次男坊。

戦後、田んぼが嫌で?北海道に渡った?な感じ。

まぁ・・お義父さんには、それなりの言い分があるとは思いますけど、

そうとしか書きようがないですねぇ。。お嫁ですから。

お義父さんに,もうお口はないですしね~~想像の世界。

彼が大学をでて立派になるのが夢だった?かもです。

そういう時代だったのではないでしょうか?

 

立派になったかどうかは、地位とかお金持ち度合いとか?

まぁ。。ド庶民でから。。基準は不明瞭。

 

そんな、どこの家にもあるような、一族のああだこうだは横に置いておいて。

「墓」の話。

北海道なので、まして雪深い地域。

お寺さんが納骨堂を建てています。(ほかのお寺さんは知りません)

なので、この記事で「墓」は、納骨堂の仏壇の意味。仏壇の奥に遺骨が入っています。

体育館よりはずっと狭いですけど、

ずら~~っと。仏壇というか納骨堂が並んでいます。

大から小まで。

想像のつかない方は、よろしかったらご一報コメント等を下さませ。

伝わらないようなら、もう少し工夫して追加記事を書くようにします。

一応。後半に写真を載せました。

 

で、今日の話題はココから。。。doramusume自分の為に記録します。

今日の記事は長いです!。

自分でも呆れるくらい長いです。悪しからず。

よろしかったら、お時間をキープしてからお読みくださいませね。^^;。。

でも。。おもしろいかもです。。(* ̄▽ ̄)フフフッ♪

 

最近「墓」が話題の我が家。

北海道のお寺さんの墓は、以前にもちょっと書いていますけど、

お義父さんが購入というか?建立?した墓です。

目的は彼のお母さんに入って貰うため。

 

彼のお母さん、大学の入学試験の年の2月末に、突然。亡くなったそうです。

当時の国立大学は一期校と二期校に分かれて試験をした時代。

   (このこと。。ご存知の方は今じゃ結構なご年配?)

一期校は三月の3~4日の試験。二期校はその合格発表の後に試験。

三月の20日過ぎだったのではないか?と。記憶しています。

  doramusume。何しろ高校時代。お勉強しなかったので、その辺の事情はあやふや恥^^;

 

彼は一期校を落ちて二期校に合格。

まぁ。。試験の一週間前に母親との突然のお別れは、

18歳の青年にとって、「人生の試練その1」だっのではないでしょうか?

 

その時、義父は早い話が貧乏だったので、お墓の用意が出来なくて、

お義母さんの実家の墓に納骨。

 このお墓は私も一回だけお参りしたことが記憶の彼方にあります。藪の中だった。

 なので、お寺さんの墓地は墓地だが離れてるみたいな感じ。。どこかは?知りません。

 

義父から「母さんの骨堂(墓)を買うから」と連絡がきたのがいつだったか?

記憶を紐解くのがムツカシイのですけど、周年回忌に絡めていました。

彼の年。18に13を足すと18+13=31。彼31歳?13回忌ではありません。

う~~ん。17回忌だったかな?18+17=35. ちがいますねぇ。。。

 

23回忌は?・・18+23=41.彼が41歳の時は、1995年。マイナス1で1994年頃です。

義父はまだ生きていましたねぇ。。なるほど。そうですね。。23回忌です。

間違いありません。スッキリしました!。

 

その時に、義父に、多少の金銭の余裕が生まれたのか?

自分がそろそろアブナイ感じたのか?

ともかく「母さんの墓(納骨堂)を買うことにした。しいては子供として応分の負担を!」と。

ちゃっかり💨💨子供たちに連絡&請求。

 

その時。電話にでた彼。話が終わって、

「お前の母さんだからな!」って。「自分の女房だろ💨💨」と、怒っていました。

 

なんで、こんなことを鮮明に記憶しているのか?doramusume^^;お嫁だからか?

 

なので義姉たちと彼。そこそこの負担をして義父に献上。

この時、子供たちっていうか、義姉たちも彼も私も孫も。

彼のお母さんの、23回忌の法要には参加。

お料理も頂いたのですけど、買ったという納骨堂を👀見なかった、

っていうか、、お参り、、していなかったのです。

 

後で考えると、なんだかなぁ⤵⤵ですけど、雪も降って?いたのかいないのか。。忘れました。

私たちは遠方からだったしとか、弁解?はイロイロありますけど、

みんなで集まってご馳走食べて。お・し・ま・い!な、

楽しかった「母さんの23回忌法要」の思い出です。

 

この時は、彼がサラリーマンを卒業。

丁度、独立して、まだ健康。我が家の金回りの最高の時期。

娘と三人で、北海道旅行!どこに泊まったのかとか?細かいことは忘れています。

ただ、私も勤めていたので、そんなに長くは休めなかったはず。

もしかして?お盆の時期だった?ような気もしないでもない忘却の彼方。

娘は14歳。これはあっています。中学生2年。

「バアチャンの法事に行ったけど。。みんなバアチャンでどのバアチャンの法事?」

の名言を残しています。

 

    義父はその4年後、1998年・(平成10年)に生涯を終えました。

    間に合ったっちゃ間に合ったのですね。墓・・・

 

この時、義父が用意したお墓(納骨堂)があるから、私たちは安心感MAX。

お寺さんを呼んで、通夜告別一式。滞りなく。OK!。

 

のハズ。

 

また、面倒な事って書くと、語弊があるのですけど、

義父は私たちの結婚する前に59歳で、再婚済み。

なので、喪主は、再婚したお義母さんっちゃお義母さん。

彼が長男なので喪主ではなく施主。まぁ・・メンドクサイっちゃめんどくさい家族構成。

 

いざ。義父を納めようとした時に。問題発生💨💨👀👀👀。。。

 

初めて入ったお寺の納骨堂。古い建物。

ぎっしりというか、ずら~~っと、並んでいる、小っちゃいお厨子。の奥に。

彼のお母さんの骨壺。その手前に義父を納め。みんなでね。。合掌。。

そんなもんか?と思っていた私たち。

 

一番上の、義姉が、「おかしい⤵」と。つぶやくのです。

「この、お厨子があの値段のハズが無い⤵」

「えええ?」な私たち。

 

確かに、古いお厨子だし。。言われてみればそんな気も。。👀。。。

家紋も入っているのですけど。私が聞いている家紋「九枚笹」とは違います。

 

葬儀・法要のドサクサが治まった頃。ご住職に面談を申し込み。

恥ずかしながらと事情をお話し、イロイロお伺いをしました。

 

かなりハショッテ書きますと、こういう感じ⤵。

「お寺さんは、納骨堂の新築を考えている時期で、

いまのところは仮と言うか。。旧というか。。という話。

義父は、中古の納骨堂を購入。四年前にね。。

お値段は12~3万円でしたよ。

建て替わったら、きれいになりますよ~~お楽しみ~~。合掌」

 

あっ!そうなんですね!と。皆さんも納得、彼も私も納得。

ちゃんちゃん👏なのでした。

要するに。子供たちから集めた納骨堂の購入費用。

それよりも随分とお安い仮の骨堂。

差額は新しい納骨堂に充当される?って。ねぇ。。思いますよね。。

 

その後、三回忌。を、滞りなく翌年に彼が施主で開催。

早い話がdoramusuemが仕切ったっす。💨💨。

その頃の彼は、お仕事絶好調。

忙しかったです。稼ぎもMAX.。。♬戻りたい。。もどれな~い。♬。。フッ😏

私は人生で唯一。一時の社長夫人で暇~~~。

 

納骨堂はまだできていません。あっそ。。💨💨。な感じ。。。

 

その後、彼の仕事も順調。普通に忙しく過ごしていました。

娘も遠方の大学に入って、なぜか?彼は名古屋の仕事を受注。

山梨から名古屋は通えません。

たった三人の家族。

単身赴任で、三か所で住む?いや~~~それは無駄でしょう。。

 

なので、名古屋にマンションを借りました。

二地域居住の始まりです。

山梨と名古屋を二人で行ったり来たり🎵♬。。。

 

若かったし、お金もあったし。彼も運転は気晴らしになったし。🚙🚙。。③ナンバー。

で、過ごしていた2001年。世界的な大事件。9.11の頃です。

 

今住んでいる、山梨の家に、休みの日に戻った時。

郵便受けにお寺さんからの封書。👀。

消印は2002年8月10日。平成ですと14年になります。

こういうパンフレットとともに。

ご住職様からのご挨拶のお手紙。

内容は。。ハショッてこんな感じ⤵。。。

 前々から計画の納骨堂が完成しましたので、

 古い納骨堂に収めているお骨を移します。

 なので新しいお仏壇を買ってね!

 パンフレット同封します。

 移設が終わったら古い方は解体します。

 合掌。

まぁ。。かなり省略で、罰当たりですけど、内容はこんな感じ。

 

ん?。。買うの?が、正直な感想。

ようするに、お義母さんの墓は、新しい納骨堂に移る権利みたいなもんで、

なんか。私たち。もうちょっとお支払いしないといけないのね?

 

ええ?。。今更、義姉たちに請求する?

ちょっと、それって申し訳なくない?

な感じの長男夫婦。

 

金回りもそこそこヨカッタので、黙ってお支払いしました。新しい父と母の入る仏壇。

各家庭に置く仏壇ではなく、お寺の納骨堂にずら~~っと、並ぶ仏壇。

一番お安いコース。

 

ということで、無事にお寺さんの立派な納骨堂が完成して、

その中に、雪に埋もれない仏壇形式の骨を納める。通称「墓」

お披露目は義父の7回忌で。義姉たちも👀。。

 

そんなすったもんだがあって、毎年お寺に収める護持会費とかなんとか。

負担にすれば年間2~3万。

まぁ。。お骨のマンションの管理料と思っていますけど。

長男だから我が家でお支払いって。思って20数年。

 

いざ、彼がそろそろどうしよう?な現在。

俺は墓などイラン。知らん。

○○寺?もういいだろう。墓じまいしましょ~~~。

 

えええ?骨返す?いや~~~~。いらない。

の記事は。今月6日に書きましたので、そちらをどうぞ!。って。どうやるんでしょう?

   スミマセン。まだ。技が不足ですdoramusume.^^;。。。

 

お寺さんに確認したところ、この田舎町のお寺の納骨堂に収めているお墓というか仏壇。

は。彼のもの。えええええ。俺の?となった次第。

 

民法。何条だったか?もう忘れましたがdoramusume。

お墓は祭祀財産。なので、義姉たちと分けるのではなくって、

義父→彼→あたし→一人娘。えええええ。パパがお隠れになったらあたし?

いや~~~~どうしよう?

ではありますが、

縁もゆかりも、ちょっとしかない、彼の生まれた北海道の田舎町。

 

別にイヤ💨っていう訳では無いけれど。。。

私の目の黒いうちに、もう一仕事。

とりあえず彼は「俺が入る!○○寺」と義姉たちに宣言してくれました。

私からは「皆さんで、いっぱいお支払いしたのに、私が貰っちゃう結果になってスミマセン」

と義姉たちにお話し。

「そのうち、お義母さんとお義父さんは合祀させて頂きます」と、宣言。

一件落着っちゃ落着となりつつあります。

 

これからしばらくはお寺さんとのお付き合いが続くのだろうと。。思います。

まぁ~いいか💨💨です。

doramusume出家しようかな!と。半分本気で考えちゃいます。💨💨。

 

しかしお義父さん💨💨。

みんなから25年前に集めた

「母さんの墓代-中古の納骨堂の代金」~差額は結構な額。

この差額💨💨。こちょばめたでしょ!💨💨。。。。。嫁。

 

おしまい。