期せずして、なのか?

なるべくして、なのか?

長年の肝臓病を経験し、(別に、あえて経験。。しなくたかったけれど。。)

 

肝機能がちょっとわるいなぁ。。。でもさ。お酒も美味しいしね~~な日々。

肝炎にもいろいろあるよ~~

  劇症肝炎・ウイルス性肝炎・アルコール性肝炎。

  町立病院に、団地のDrから紹介入院。

肝臓に針を刺す検査。肝生検を進められ。。(町立病院じゃ出来ない💨💨)

てっきり、アルコール性だと。本人も周りもそう思っていました。

なのに?か本当か?などなど。。思いはしましたが。・・・

ちょっと大きめの、中核病院で、肝生検。自己免疫性肝炎と診断。 

     障害年金の対象疾病でしたけど。。それなりにお仕事を継続。

     年金の申請はしませんでした。

この間。お薬と、2か月に一度の血液検査と眼圧検査。

      ⤴プレドニン。とウルソ。とベザトール。と胃薬。と血圧を下げるお薬。

そろそろ限界?。悲鳴を上げた肝臓。。

まず最初に出た症状は貧血&ムクミ。

↓すったもんだの経過がたくさんありますが、。。。

        地域の中核病院が彼にとってはハズレの病院でした。

        この間、約5年の月日が。。無駄に?流れていた気がしています。

大学病院に転院。 障害年金をこの段階で申請しました。

     ありがたいことに、初診に遡っての支給。時効ぎりぎりの5年分。

     お仕事も廃業したので、とっても助かりました。

 

肝硬変の状態と診断。

なんと。原因がわからない。。原発性胆汁性肝硬変。。

     ありがたいことに医療費の助成もあります。

     

ともかく。オレ。。痛いのはイヤ。望みはこれだけ。

大学病院で、「これでもか?」というほどの最先端の治療を受けました。

費用はほとんどかかっていませんけど、収入もほとんどなくなったので、

貧乏っちゃ貧乏の日々。

生活のダウンサイジングを否応なしに迫られました。

   後で、思うに、同年代の方々が年金生活になる今頃。

   私たちは10年早い経験ができました。

   このことは、無駄な体験ではなかったな!って。いまは思います。今はね。。

大学病院で手術を受ける彼の付き添いをして、

切った貼ったはしませんでしたが。。痛いの嫌だから。せいぜいカテーテル。

それでも、やはりそれなりの痛みは少々ありました。たぶんあったと思います。

                       ⤴私は痛くないしね💨💨。

私の体は痛くありませんでしたが。。この頃。。

私のはとっても痛かったです。実は⤵。。。

彼の入院中。大学病院の中をウロウロ。

👀👀。。「がん患者さんの相談窓口」

👀👀。。。「がん患者さんのご家族へ」とか。講演会とか家族会とか。。👀👀。。

私の夫は。。癌じゃないしな!

良いんだか?悪いんだか?良いのだと。思うけど。。

私は誰にも相談できない状態。

彼も心配だけど。生活も心配。

このまま生活が成り立たなくなったら。。どうしよう⤵⤵。。と。

不謹慎ですが、癌だったら、だれか相談に乗ってくれるの?とも思ったことがあります。

頼りになる娘も義姉もいますけど。

今もとってもありがたい支援をしてくれていますけど。

それでも

私は。。不安でした。 (根が甘ったれですからねぇ。。。)

大学病院って、結構診察に待ち時間があります。

毎回行くと看護師さんも顔なじみ。

患者さんも見た顔がちらほら。「皆さん。。生活はどうしているの?」と。

聞いて回りたい衝動がいつもありました。

そうこうしている数年間。

お年寄りの支援が目立ってきました。

高齢者外来とか、地域生活支援とかいろいろ。。

大学病院にもその手の窓口ができてきました。

まだ。。高齢者じゃないしなぁ。。と微妙なお年頃の私たち。

こんな時。なんか。ちっと。頼りになる。

そんな制度があったらいいのになって。ずっと思っていました。

患者家族が、悲劇を生まないような。。

私は、根がお気楽っちゃお気楽ですから、悲劇にはなりませんでしたが。

そんな私でも、なにかの拍子で危ない日々だったと。

今になって思います。

緩和ケア。。最近やっと流行りだしました。

在宅医療。。こちらも結構な勢いで流行りだしています。

正しい流行り方なのかどうかは、まだまだ、世の中がついていけていない。

と。思います。

私たちは、本当に偶然。成り行き?で、

「在宅緩和ケアクリニック」を、おひとりで切り盛りしているDr了と出会え。

そろそろダメ?な彼の肝臓も、

ゆったり過ごせる日々を満喫。

寿命が延びています。ありがたいことです。

Dr了。一度お尋ねしました。

在宅と緩和の関係。

いろいろなお話をしてくださいましたが、細かなことは省略。

Dr了としては、「緩和」を外したくはない。とのお考え。

「緩和」に思いを込めたクリニックの命名だと。思います。

もし。2年前。Dr了と出会わなかたら、彼の肝臓はもう壊れていた。

と。

肝臓だけではなく、私の心も。。壊れていた。

と。

思います。

医療者のというか。医療制度の役割は、とても大きいと実感。

 

大津秀一先生。Dr了とはちっとタイプは違いますが。。。

お年は。わが娘の婿殿と同じくらいと。。推測。

毎日ブログを拝見。

医療の現実をよくご存知。本もたくさん書いていらっしゃいます。

 

最近、私のブログを読んでくださる方には、お勧めのブログです。

今回、勝手にリブログさせていただきます。