利尿剤の話の前に。昔の話。

 

人の終末期について、

doramusumeは、両親から聞いていたことがあります。

 

看取りの時は足を見るんだよ!足。👀!。

足が腫れるとそろそろお迎えが来る。

 

義理の父は、大正9年生まれ。(私の両親より、ひと昔10年、年上でした)

この義父は体が弱かったみたいで、

私たちが結婚してすぐに、今、思えば59歳の時。

片腎摘出の為、入院手術をしました。

 ( あら。お父さん。あの時は、結構若かったのね~と思います。)

 

私の両親はどちらかと言うと、大病はせず。せいぜい風邪くらい。

結婚式を挙げて、三か月後の冬。

23歳のお嫁さんとしては、

あらま大変!。どうすればいいの?と。思いました。

 

彼が言うには、義父は、彼の子供の頃から、いつも入院していたので、

今に始まった事ではない。と。

おまけに、父と息子の確執が、あったような無かったような親子。

同居をしていた訳でもないので、特別な事はするつもりも無いようでした。

 

ただ、この時は、チョット、ムツカシイ手術に、なるということで、

札幌の大学病院に入院しました。

新婚の私たちは釧路にいて、彼はそれなりに仕事がありましたので、

専業主婦の、それも新米で、主婦ってなぁに?状態の私が、

手術の時、病院へ付き添うことになりました。

一応、末っ子長男だしねε- (´ー`*)フッって。

 

結果、手術は一回失敗しちゃって、やり直しをしたりして、それなりに皆さん集合したりしたのを、

うっすら、記憶。どのくらいの期間だったか?とかの詳しい事は、すっかり忘れちゃっています。

 

病院の付き添いなんて、やったことのない私。

当時は携帯電話もなくって公衆電話の時代。

毎晩、実家へ相談のような報告のような電話をしたものです。

当時、実家は函館にありました。

 

  北海道の地理のわかる方は、この距離関係。

  結構キビシイとご理解いただけるいただけるかと。。思います。

 

その時、父も母も。同じことを私に言いました。

冒頭の、アドバイスっちゃアドバイスです。

 

「お義父さんの足を見るように👀」と。

まぁ。。

「足が浮腫むとアブナイんだ!」と。

 

世の中の事も、人体の不思議も、まして風邪以外の病気などとは無縁の。

ハッキリ言って「お嬢さん」。

おまけに一人っ子。

そんな嫁に出したばかりの娘に病院での、手術後の付き添いなど、

出来るわけがないと・・・二人とも心配したのだと思います。

その当時の両親の年齢は、今の私より10歳も若かったのねぇ。。

と。今、書いていて。思います。

 

父と母。その時点でも、何人かの年寄りを看取った経験があったようで、

時代は昭和20~30年代。

まだ、人は家で最期を迎えた時代。

利尿剤なんて処方されなかったのではないでしょうか?

 

オシッコの管&袋だってなかったと思います。(なんて言うのか?知りませんけど。。)

なので、浮腫み=終末。と。

父母の頭には、インプットされていたのだと思います。

 

時代進んで。義父の入院した時期。昭和の50年代。正確には1979年冬。

オシッコの管を義父はつけていました。

利尿剤を処方されたのかどうかは知りません。

 

付き添いの私の仕事は、この、ぶら下がった袋に溜まったオシッコを、

「畜尿室」の義父の名前の書いてある大きなガラス瓶に移す事。

 

畜尿室と言ったのか?どうかも忘れましたが、

確かに、昔の病院にはありました。今思うと。結構汚いかも。。。

看護婦さんが、一日の出た分を記録して捨てるみたいな。

チョット、今書いてて、コレ。。どうなの?と思いますけど。

本当のお話です。

  色もね、結構カラフルなんですよ。お薬の影響でしょうか?

  綺麗な赤いのから。。普通のから。白っぽいのとか。。グリーン系もありました。

 

何しろ、腎臓片方摘出手術ですのでオシッコとは縁が切れません。

まだ、子供も産んでイナカッタ当時の私。

惚れた弱みにしても、よくやったな!私!

と、褒めてあげます。(* ̄▽ ̄)フフフッ♪。

 

この時、もう少し興味をもっていれば、

何かその後の人生にプラスに作用したかな?と。

思わなくもないですけど、義父と言えども他人ごとでした。

義父は、その後20年弱。片方の腎臓で、それなりに元気に過ごしました。

 

最後は心臓で倒れたのですが、

その時も、暇だった私。

(たまたま彼が独立して、金回りの唯一ヨカッタ時代ε- (´ー`*)フッ)

最後の一月ほど、田舎の病院に付き添いました。

 

この時も、まだ元気だった私の両親。

足を見るんだよ!と。相変わらずの助言です。

 

医学の進歩とともに、利尿剤も、オシッコの管も、進化。

義父の足は最後まで浮腫みませんでした。

 

多分、私の両親がその親世代を見ていたころは、広く出回ってはイナカッタ?

のですよね。。

そう考えると、まだまだ、何かしらの進歩も期待できるのではないかな?と。

思います。

 

介護をする側される側。排尿・排便のシステムは改善の余地。大ありです。

 

後、点滴だって、いつの頃から一般的になったのか?

終末期の患者に栄養点滴ジャブジャブも、最近は、弊害なのだど、

そろそろ、皆さん気が付きだしているように思います。

 

で、本題。彼のオシッコ。

ホテルの前で、ひっくり返って、眼鏡のレンズが外れてしまい。

二日間。計量はお休みしたのですけど、

回数だけ控えていました。

 

彼が言うには、痛み止めを飲むとオシッコは全然出ない。

飲まなくなったら、出る。

止めたとたんに出始めた。

出過ぎで、夜は眠れなかった。

いや~~~~~出たんだよ!ツカレタ。。と。・・・

ひっくり返る前の数日間は、なんか利尿剤の効きがわるいなぁ。。と。

言っていたばかりなのに、そう。一日2000mlに届かない日が続いていました。

 

👀。どれどれ。。。と回数を見たところ。

痛み止めを一日三回。飲んだ日。(10日)オシッコは3回だけ。6時・13時・21時。

翌日(11日)は、朝から痛み止めはおしまいにしました。なんと!13回トイレにGO!。

翌々日(12日)は眼鏡も治って、計り始めました。14回で、3050 ml。

そして昨日(13日)も14回で、2980 ml。

 

ほぉ~~~~👀な感じです。

どおしたんだオレ!と。先ほども言っておりました。

 

転んだだけで、目が痛いだけで、あ!背中も痛いけど。

他は何にも変わっていないのに。どうしてこんなに出るんだ!

と。ぶつぶつ。。。言っています。

 

思うに、利尿剤。って、結構、気難しいヤツなのね!。

他者との兼ね合いのムツカシイ、偏屈なオヤジみたい。

で、カマッテチャンみたいな感じ?。

(* ̄▽ ̄)フフフッ♪。利尿剤の評価。doramusumeバージョンです。

 

以前大学病院で、ラシックスという利尿剤を目いっぱい飲んでいた時がありました。

なんで、目いっぱい飲んだのかと言うと。浮腫みが激しかったのです。

腹水じゃなくって、浮腫み。下半身がパンパン。

男性の大事なサクランボ🍒も、リンゴ🍎みたいになって。

もうすぐスイカ🍉になっちゃう💨💨。。。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ

 

靴も履けない時がありました。

スウェットとサンダルで緊急入院。

サムスカを試験的に飲んだのがこの頃。

 

その後、腎臓の数値が悪化してしまい、

担当医の判断。

スパッと、ラシックスを止めて、様子見をした事があります。

ラシックス止めたら、不思議とオシッコが出だしたような。。。

あれはなんだったんだ?な時期。

 

「キットさぁ~~体が、ビックリして、リセットされたんじゃない?」と。

わかったような解釈をして、恐れ多くも大学病院のDrに進言した私。

 

大学病院の担当の優しいDr「そういう事もありますね」と、否定はしませんでした。

 

ともかく。人の体は不思議。利尿剤も。。。気まぐれっちゃ気まぐれ。。。

効くときは効く。効かない時もある。・・・・。なんなんでしょうねぇ。。。

 

お薬による、イロイロな体の変化。

コロッと変わるのは、少々コワイ気がしますけど、

ゆっくりゆっくり変わるのなら、

それはそれで、まぁ~いいか♬🎶と。思う事にしています。