「予後・余命についてむやみに恐れず、最善を期待し最悪に備える。」

昨日の続きです。

 

最初に、ハズレだった病院で、肝移植の検討をどうか?と言われたのが彼49歳の時。

当時は、今ほどの情報も無く。

ええええ~~。なんで?オレが?(あなたが?)な感じで、

肝移植?肝臓なんて、誰がくれるの?

二人とも、ほとんど検討らしいことはしませんでした。

 

だからどう?って言う程の後悔も無く、

だいたい、自己免疫性肝炎って、珍しい?当時の患者数は2万人程。

中年の女性が多いと、言われていました。(書かれていました)

 

なので、私たちの間では、「もって10年」のフレーズの方が定着。

まぁ・・・それなりに考えた事は考えましたが、

彼の仕事も順調で、それほどの生活苦感はなく。

一人娘も巣立っていたし。

困ったと言えば、私の両親がそれなりに老いてきた、というくらいでした。

 

体感も無理は出来ないけど、普通。

何しろ肝臓って、不感症?な臓器です。失礼^^;沈黙の臓器です。

 

なので、10年のうちの前半5年は、お気楽に、病院通いも彼の一人仕事。

彼の収入も、それなりだったので、私はのんびりしていました。

ただ、あと10年。彼59歳。その時私は57歳かぁ。。程度の認識。

 

生命保険も若い時に加入していたので、たまに入院しても、困りませんでした。

なので、病院のせいだけでなく、私たちの意識そのものも、

ハズレというか、残念だった5年間だったかな?と。

まぁ・・今になって思います。

 

インターネットが今ほどでは無かったというのも大きいです。

 

普通に生活できて、彼はいっぱいお仕事をしてくれて、

それこそ、まぁ~いいか♬🎶・・・でした。

 

彼の肝臓の非代償期。こんな感じで過ごしていました。

 

困ったのはその後、肝臓が悲鳴を上げ始めて、

まずは足が浮腫みはじめ、仕事も超多忙期。徹夜もアリ。の頃。

 

ハズレの病院は、何がハズレだったか?と言うと、

肝臓の専門の管理職のDrはいるけど、彼の担当は毎年変わる。

毎年、4月に。年を追うごとに、若くなってくる担当Dr。

5年で5人。この5人目の方が思いっきりハズレで、残念。

君?新米?な感じだったそう。(私は会っていません)

 

最初に肝生検をして、移植を考えたら?と、言ったDrは女医さんで、

結構ハッキリしていて、ヨカッタのですけど。。

 

ムクミの対処もせず、ともかく血液検査だけ。

今思うと、その血液検査の数値の把握?出来てイナカッタと。思います。

貧血が出てきたのも見落とし。とても残念なお医者さまでしたが、

その後10年もたつから。。今頃は、もしかして成長しているかもですね。

それならいいですけど。。。K先生💨💨。

まぁ。誰しも最初は初心者ですものね。

 

結局、この病院に見切りをつけて、一旦市立病院に戻って、

しっかり大学病院への紹介状を書いて頂き、

障害年金の申請もして、

働けなくなりそうな気配を察して、いろいろ手続きをしました。

 

彼が55歳。私が53歳の頃。一番しんどかったように思います。

何しろ、この頃は、ぐうだらべぇの父は既に亡く。母が一人。

収入は減ってくる。と言うより、自営業だったので、バッタリ途切れました。

 

生命保険も加入していた事はヨカッタのですけど、

支払が厳しくなりました。

ともかく解約だけは避けるように、減額をしたり、工夫をしたり。

 

障害年金が時効寸前の5年まで、遡て支給され、

支払った、国民年金保険料も5年分還付。

その分を、生命保険料に回したり、

綱渡りではありましたが、公的助成のおかげで、助かりました。

 

彼は、何回も入院しながら、大学病院で最高の治療をしてもらって、

いつの間にか59歳のお誕生日も無事に?終わって、

10年が過ぎ。

あら?。。まだダイジョウブね(^▽^)/。な感じでプラス5年経過。

 

10年からの引き算が、いつの間にか一年一年の足し算になって、丸5年。

 

この数か月で、ついに肝臓にガンが発生してしまいましたが、

これも、想定内と言えば想定内の出来事。

来週は64歳のお誕生日です。

 

「予後・余命についてむやみに恐れず、最善を期待し最悪に備える。」

 

意識しなかったけど、結果そうなったねv(。・ω・。)ィェィ♪です。