「ヒヤリ!書いといてくださいね!」っと。
先輩支援員に怒鳴られた思い出を、
機会があれば、書いておこうと思っていました。
「ヒヤリ!。。?なんじゃいソレ?。。」
「パートのあたしが書くの?」と。。何度思った事かε- (´ー`*)フッ
看護介護の業界の用語のようで。。
はぁ。。「ヒヤリ・ハット」って言うのね。。
と、じっくり調べたのが最近です。
「千年の森」と、勝手になずけた重度知的障碍者施設に、
昨年の今頃は、毎日通っていました。doramusume。
山の奥に、人知れず。こういう施設がある。と。
気にしてみると、結構な数。存在します。
障碍者支援法とか、何とか法とか。
いろいろ、その施策にのっとて、社会福祉法人が主体のようです。
東京オリンピック・パラリンピックの準備の影響か?
もちろん、高齢者の増加もあって、
障碍者支援。高齢者支援。
日曜日に入る新聞広告。求人欄は介護職がたくさん。
新しい施設もドンドンできているように感じています。
なので、多分。究極の人手不足の業界。
私がお邪魔していた「千年の森」も。典型的な人手&人材不足。
ただし、補助金の影響?と察しますが、
行政監査がとっても厳しく入るようです。
なので、書類は結構皆さんマメに。書いているように見受けました。
まぁ・・・当たり前っちゃ当たり前。
「ヒヤリ・ハット」とWikipediaで調べて&解釈勝手なdoramusumeバージョン。
重大な災害や事故に至らないものの、直結してもおかしくない、
一歩手前の事例の発見の事。
医療におけるヒヤリ・ハット(Medical incidennt)は、
人的エラーが発生したけど結果としてダイジョウブだった。
ふむふむ。・・・・
事例として⤵
「患者が、間違った薬を渡されたのに、飲んでしまったけども、それによって健康被害もなく、クレームも無かった」。。など。。など。。
ご興味のある方はググってみてください。
ちなみに、一年たって時効だと思うので、
私が、「書いといてくださいね!」と怒鳴られた事例の一つ。
お食事の支援中。
私の向かいで、いつも黙々と食べる方。
切り身のお魚の皮が固くって、箸で上手くチギレズに格闘中。
この方は、見ているだけでいいタイプ。お席も向かいで手が届かない。
一言も言葉は発しない方ですが、
私はいつも「今日は何々。召し上がれ!」っと、お声かけをして、
最後におしぼりを渡します。
お口を拭くのをチョットお手伝い。「ニコ(^▽^)/」って目で言ってくれます。
この時は、なにしろ、噛み切れないほどのゴム状の魚の皮。
ポン!と、ひとかけ、床に落ちてしまいまして・・
?あ!っと。言う間に拾ってお口に入れてしまいました。
それを見つけた、後方待機の主任さん。
彼の口から思いっきりお魚を取りだそうと押さえつけ。大格闘💨💨。
その拍子にガブリと腕を噛まれました。
あっと言う間の出来事に、私は。。見てただけ。向かいだし。。
でも、その食事席の担当だったので、
私が予見できなかった事になるのだそうで、
「書いといてくださいね!」になりました。
まぁ。。書くという作業はキライではないですからいいのだけど。。
めんどくさ!っと。。心の声少々。
この事例。問題の根本は、
魚の皮が固かった。切って出せば済むこと。
で。
お食事を作るのは、また別の業者さんなので、
配膳時の工夫とか。
それなりに「仲間たち」の事を考えると、対処の方法があると。
なんなら、床に、こぼしても拾えるシート。。敷いたら?とも。
年寄りdoramusumeは思ったものです。
ヒヤリ・ハット?って。。こういう事なの?と。
まぁ。。業界の方々には聞きなれた言葉なのでしょうが、
何しろ。。昨今。危機的職業と言われている、
元。銀行員のdoramusumeにとっては、
しっくりこなくって・・「?なに?」な感じなのです。
思い出して書いたらキリがないくらい。
変?な事はたくさんありました。
毎月、書きためた「ヒヤリハット報告書」が壁に。。
しっかり読んでいる。。支援員?いる?な感じ。
何しろ手が足りない。読んでる暇もない。
私は、たった2時間のパートでしたが30分早く入所して、
書類に目を通していました。邪魔な婆さん。丸出し状態。^^;
昨日、本が届きました。楽天のポイントが貯まったのでv(。・ω・。)ィェィ♪
ぶどう畑で見る夢は こころみ学園の子どもたち
小手鞠るい 著。 原書房 1300円+税
あっという間に完読。感激。
帯には、心に響くノンフィクション
「働く」「育てる」「人間らしく生きる」ってなんだろう?
山のふもとにたたずむ知的障碍者施設「こころみ学園」
一本のぶどうの老木が静かに語りだします。
知的障害を持つ子どもたちと先生が、
ぶどう畑で起こした奇跡を。。。
昭和44年。栃木県足利市に誕生した「こころみ学園」。
当時、中学を卒業すると行き場を失っていた知的障害のある
こどもたちのために、一人の教師が私財をなげうって山を購入し、
子どもたちとともにぶどう畑を開墾っしたのが
すべての始まりでした。
この本。新聞の書評欄で見つけたのか?
はたまた、どなたかのブログの紹介だったか?
忘れてしまいましたが。。。買って良かった本の仲間入り。
子どもたち。。ったって。。昭和44年。。頃の子どもたち。
今は、いいだけ大人ですねぇ。。
この本に出てくる「ぶどうの木」のような。。存在になりたい私。
今。は?何を?どうしたら良いのか?
模索は続きます。。。