たまに耳にする腫瘍マーカー。って?。。
から始まるdoramusumeです。
最初の肝生検は2004年4月。自己免疫性肝炎と診断されました。
移植をしないと持って10年かな?と。言われた気がしました。
10年後。「夫さん」はまだ59歳ですよ!って。
という事は、彼は49歳で私は47歳だったのね!若かったε- (´ー`*)フッ
移植?肝移植?「俺がか?」と彼。
「パパがぁ?」ぁと私。
「誰がくれるの?肝臓・・」などなど。。移植の選択は全く考えませんでした。
どっちかって言うと、
そんなに丈夫では無かったですが、病気とは縁のない生活をしてた私たち。
何度も書いていますが、肝臓は辛抱強いおりこうさん?の臓器。
彼も、自己免疫性肝炎と診断されて一回入院をしたのですげど。
プレドニンの量が決まって、ベザトールと胃薬と三点セットで飲みはじめ、
また彼は本当にお薬を飲み忘れないタイプなので、
2ヵ月に一回の通院で、お酒もまだ飲んでいて、っと。
5年間は、働いて収入もあって、普通に生活をしていました。
この期間約5年。後で思えば「代償期」という事になると思います。
2004年春から2008年秋口まで。4年とチョット。
この頃は、インターネットも今ほどではなくって、
あるにはありましたが、使いこなしていなくって、
病気の事を調べる!なんて行動はしませんでした。
毎回の血液検査の表は頂きましたが、見ても分からないし、
分かろうとするものでのないと、医療情報はお医者様が教えてくれるもの。
って思っていました。私。彼もたぶん。。。
2008年の秋口から目に見えて具合が悪くなり、
今思えば彼の肝臓が「代償期から非代償期」に移ったのだと思います。
大学病院に転院したのが翌2009年の春。
大学病院のDrは、毎回血液検査の表に赤鉛筆で下線を引いて、
イロイロと説明をしてくれたのです。
私たちも、👀覗き込んで、ヘモグロビン。アルブミン。ビリルビンetc。
聞いても、わかったような、そうでもないような。。
なので家に帰ってからネットで調べました。
時代が調べられるようになったのと、ほぼ同時なのだと思います。
前の病院に医療情報の紹介もしていただき、
自己免疫性肝炎?かな?。。どうかな?・・
再びの肝生検を勧められました。
結果。病名が「原発性胆汁性肝硬変」となり。助成を受けられるようになりました。
その頃の治療は、アルブミン値が低かったので、
血液製剤のアルブミンを外来で点滴。
終了後、利尿剤を注射。な感じの治療が主でした。
助成を受けてお財布がずいぶんと助かったのを覚えています。
その後、はじめて肝性脳症になっちゃって救急搬送。
救急隊に無理を言って県外ですが大学病院に運んでもらいました。
その頃から、大学病院のDrには毎回、診察って言うより、
血液検査の結果をもとに講義を受けるという感じで月一の通院。
お家に帰ってから、ネットで赤線の単語を調べる。
的な事をしていました。
難病情報センターのホームページの、患者用はもちろん、
医療者用の方も、わからないなりに読んでいました。
論文などもドンドン見つけて??と思いながらも読んで。
実際に数字(毎回の血液検査の表)が手元にあるので、見当がつく部分もあったり。
人間、必要に迫られてのお勉強が一番ものになるかも?って。思います。
その後約10年。
肝硬変の原因は色々あるけれど。肝硬変になっちゃったら同じ。
まず気を付けるのは静脈瘤による出血。
次は肝性脳症。肝臓がんの発生リスク。
彼の場合、ゆっくりゆっくり、一つずつ経験。
毎回寸前のところで最善の治療ができて、リスクスコアも低いながら、
幸いに肝がんの発生が無かったので、今があるのだと思います。
さあ!ここで出きた腫瘍マーカー。
そもそも腫瘍マーカーって何?ですよね。。一般人ですから💨💨。
調べたところ👀。一般財団法人 日本健康増進財団 のHPに詳しく掲載があります。
αフェトプロテイン(血清)は、正常な胎児の肝臓で作られるたんぱく質で、乳児期に消失。
肝臓の病気。特に肝がん、卵巣がんなどで、昔にかえって再び作り始め、それが血液中に出てくる。。。
なので、
肝細胞癌は
AFPの数値が高くなる。
AFP=αフェトプロテイン(α-fetoprotein)の略称らしいです。たぶん。。。
多分、血液検査の項目で、種類がたくさんあって。病変によってマーカーの種類があって、
医学生は医師国家試験に出るので覚えるらしい。。なるほど。。
ちなみに医学生の覚え方。
語呂合わせで「アフガン」というそうです。
アフ→AFP
ガン→肝 AFPのAとFをよく見ると「肝」の字に見える。AF→月干→肝。。。?
もう一つ。ついでに。。。
CA15-3→乳癌の場合。。
CA15-3 イチゴミルク味の牛乳ですって^^;15-3がイチゴミルクで、牛乳から乳がんらしい。。
⤵ご興味のある方は見てみてくださいませ。
以上、「腫瘍マーカーの覚え方」で乗っていました。ε- (´ー`*)フッ
はぁ? 医学生も大したことないな!って。💨💨まぁ~どうでもいいか♬🎶ですけど。。。
さぁ。。教科書通りの進行。 ⤴lこの数値はまだ序の口とDr了。
この数値。これからどうなるのでしょうか?
数値の上がり具合と期間を見比べて。考える事になるのだと思います。
痛くなければそれで良し!です。
このまま「在宅緩和医療」を続けたいと考えています。