3.11から丸7年。

 

ブログを拝見していると、皆さん、

忘れてはいけないと、

自分に何が出来るのかと。

それぞれの思いを綴られています。

 

私は、当時、某銀行のコールセンターに勤めておりましたが、

シフト勤務でしたので、たまたまお休み。

 

マンションの6階から2階のダストボックスへゴミを捨てに、

ひとりエレベーターに乗っていました。場所は横浜。

「ゴンゴンゴン」って音がして。。

「あら?今日は点検だったかしらぁ?」と思った時にドアが開き。

2階で、降りました。

「ん?なんか?私。。めまいがする?」

足元おぼつかない歩みで外に出ると、ビルが揺れています。

 

部屋には貧血でヘロヘロしている彼がいます。

こんなに毎日一緒に居るのに、

なんで、チョットだけ離れた隙に、起きるかな?地震。という感じでした。

 

彼は、私が「ゴミを捨ててくるね」と言い残し玄関をでてから、

トイレに入っていた時の出来事だそうです。

 

どのくらいの時間がたったのかは、記憶にはありませんが、

マンションの一階フロアーの前で再会するのには、やや時間があったと思います。

 

もちろんエレベーターは使えませんので、

貧血でヘロヘロの彼が6階分の非常階段を下りてきました。

ともかく会えてヨカッタ。

マンション。倒れなくってヨカッタ。

地震が落ち着いて、

二人で、壁がところどころ崩れている非常階段を、上って部屋に入り、

あらま。。お部屋の壁が。。。ボロボロ。。

でもこの程度でヨカッタ。

 

停電にもならず。TVをつけて。津波の映像に唖然としておりました。

東北は少し縁があります。住んだのは2年に満たなかったのですが、

仙台で娘を生みました。

仙台空港も何度か利用したことがあります。

 

映像を見る事しか出来ない無念を感じました。

自然に対して人は無力。そう思いました。

 

その後は、計画停電とか、コンビニやスーパーの品物が無くなるのを目にしました。

たまたま、当日勤務だった同僚の、話を聞いたところ、

時間的に皆さん出勤途中。

電車に乗っていて、線路上に降ろされ生まれて初めて線路を歩いた。などなど。

職場まで到着出来た方。途中で諦めるという判断をした方。ソレゾレです。

帰りは電車が動かなかったので、家まで三時間歩いたという方もいました。

 

次の日の受電で、忘れられない一件があります。

「福島の双葉町で、今。避難中なんです。」というお客様。

コールセンターというのは、マニュアルがありまして、余計な事は言ってはいけません。

受電の最後には、必ず「お電話ありがとうございました」と言わなければいけません。

 

でも、私。。手続きが済んで。。思わず最後に。。言ってしまいましたのね。。

私たちを監督している、エライ人に聞こえないように小さな声で。。

「心からお見舞い申し上げます。⤵」「お体、お気をつけてくださいませ。。」って。

その時のお客様「ありがとう。。」って、言ってくださいました。

 

お名前などは、もちろん全く憶えていませんけれど、

その後の7年を、どのようなお気持ちで過ごされたのかな。。って。思いだします。

 

この日の受電。仕事人としては、マイナス評価で、下手すると反省文ものですが、

そんな評価はどうでもいいな!って。。思います。

人として、多分、間違ってはいなかったって。今でも反省はしていません。