思い出す事、40年前。。。私たちのデートって言えば本屋でした。
彼は経済関係の棚。私は専ら文庫コーナー。
今どきデートって言うのかな?っとちょっと気恥しいのですが( ^ω^)・・・
なにか調べたいことがあった場合はまず本屋に行ったものです。
娘が生まれた時。。私24歳、彼26歳。
今、改めて考えると幼い夫婦でしたねぇ。。
子供が赤ん坊を生んだ状態で、親も近くにいなくって、あたふた^^;
そんな彼が買ってきたのが、
新版 育児の百科。。岩波の赤い本で、かの有名な松田道雄先生の本です。
3200円。当時としては高いと思った記憶があります。
生まれてから買ったのか?買ってから生まれたのか?記憶もあやふや^^;
今も、本棚の片隅に鎮座中。。。孫ができたらと思っていた訳でもなく、
なんとなく立派な本なのでそのまま40年近く経過。。
パソコンでいろいろな事を調べることができるようになって。。
便利な世の中になったものだ!と、心の底から思うのです。
彼の病気も、最初のころは本屋さんに行って「肝臓」の本を買ったものです。
チョット大き目の本屋さんの医学書のコーナー。
ほとんど立ち読みする人もいなくって、
棚に並んでいる本は難しそうで、どっちかって言うと横文字が多く、
医学書的な本は高いし、一冊の中で読みたいところはちょぴっとだし。
それなりの都会に住んでいたので、出勤時に毎日寄っていました。
コピーする訳にはいかないので、少しずつ少しづつ頭に記憶。。
彼が自己免疫性肝炎と診断されて、数年後。。
初めて肝性脳症になった頃から、情報はネットで調べるようになりました。
まだ、我が家にパソコンは一台。動画もまだだったと思います。
調べ方もかなり未熟^^;
原発性胆汁性肝硬変という指定難病に病名が変わった頃です。
一番記憶に残っているのは、
「羽ばたき振戦」
気を失いつつある彼に言いました。私。
「ねえねえ、こうやってごらん?」って、お遊戯の蝶々さんみたいに。。
冗談みたいですが真剣でしたのよ!
ベットの部屋とパソコンの部屋を行ったり来たり。💨💨。
今、改めてググってみると、動画まであるのにはびっくり。
この時初めて救急車を呼びました。
お願いして県を超えてカルテのある大学病院に搬送して貰えました。
アミノレバンの点滴で回復、入院する事も無く帰っていいよと言われ、
救急車を呼んでしまったのが正解なのかどうかも自信が無くって、
これからどういう病状の変化をたどるのか?
の不安がいっぱいの頃でした。
今思えば、肝性脳症だったのだから、
何も大学病院じゃなくても大丈夫だったのでしょうが、
知らないって言うのは、こういう事!の典型だと思います。
何事も経験してみないと、次に進むのが難しいって言うのは誰しも思う事。
特に病気の経過って、やり直せるのならやり直したいと思う部分もあるし、
逆に、結果オーライもあるし。。。
今日は、何が書きたいのか?まとまりがない文章になってしまいましたが^^。
世の中、便利になったと言う事で。。まぁ~いいかぁ。。?。。。
お天気のせいでしょうか?昨日の朝から彼はあまり元気がありません。
でも、ご飯にはちゃんと起きてくるので良しとします。
まぁ~いいさぁ。。。♬🎶。。