昨日のブログで、三人の親を見送ったと書いて。。あらら~。。
と。。色々思い出してしまいましたの。。
今になって思うと。。それぞれに個性的な人たちでした。
義父。。確か。。大正9年。。1920年だわ~申年。
父は。。。。。。。昭和2年。。西暦だと1927年~うさぎ年。おお!生きていたら90歳。
はは。。。。。。。昭和3年。。辰。。。
干支って。。。もう死語なのかしら?
私は、なぜだか知らないけど。。。なにどし?って結構、意識して過ごした気がします。
彼は干支に関しては、全く無頓着です。
これって。。。育った環境。。ですよね??。。。まぁ。。どうでもいいけど⤵。。
ちなみに。。。私は昭和31年(1956年)の申。娘が昭和55年、1980年の申。
娘が生まれた時、義父が、一家に申が三代。メデタイ!って言ったけど。。???。。。
あまり関係なかった気がする嫁です^^;。
この義父は、バリバリの戦中世代。鉄砲担いでインドネシア?まで行ったみたい。。
軍人恩給を貰っていました。
彼はこの義父とあまり相性が良くなかったらしく。ほとんど昔の事は聞いていません。
まぁ~庶民の「父&息子」って言うのはこんなものでしょう。。
義父の思いはどこにあったのか?は、わからないのですが、
私としては、この義父の最後が、とっても印象的でした。
私たちが結婚してからも、よく入院して、あちこっち手術して、
腎臓を一個取ったり、心臓のバルーン手術をしたり。。etc。。。
最後は、心臓で倒れて、気管切開をして、約1月の入院で終わりました。
まぁ。。。そのほかにもドラマになる出来事がいっぱいの義父でした。。
私の父は、究極の医者嫌い。
「改源」と「ノーシン」と「わかもと」があればいいと言っていました。
医者にかかったのを見たのは、高校生の時の一度だけ。それも、ぎっくり腰^^;
最後は、ほぼ。。。老衰。。。だったのかな??不明。。。
母が、面倒を見切れなくなり、介護施設に入り3か月で亡くなりました。
まぁ。。。こちらもそれなりにドラマ性はあります。
母は、この三人の中では一番「生きる事」に執着していたように思います。
間の悪い事に、彼の肝臓が代償期から非代償期に変わった頃に、
一人っ子の私にかぶさってきて。。。参った参った。。。⤵。。
彼の肝臓がよろしくないとは伝えていたのですが、
何しろ父が医者嫌いだったので、配偶者の病に対する免疫不足💨💨。。
父亡きあと地元のケアハウスに入れたのですが、規則違反をして退所を迫られました。
仕方が無いので同居したのですが、彼が肝性脳症を頻発。私。。ギブアップ。
夫をとるか?母を取るか?。。。。そりゃ夫でしょう♡。。。
あちこち探して、母の妹一家を巻き込み、やっと熱海のケアハウスに入ることができ。。
ホットしたのも束の間。。。ひと月で亡くなりました。たぶん。。心臓発作。。。
娘曰く「おじいちゃんが迎えに来たんだよ~~」私もそう思います。
それぞれの三人。。今は我が家で写真になって。。??写真。。。どこ行ったかな?^^;状態。
まぁ~いろいろ。。。生き様。死に様。を見せて頂きました。
三人とも、それぞれに伝えたい思いはあっただろうと思いますが、
キチンと受け止めてあげることができなかったな・・って思います。ゴメン!
だけど。。。受け止めるって。。。簡単じゃないし。。ねぇ。。。
それぞれの人生だし。。。と言う事で~~
まぁ~~いいさぁ~~いいさ♬🎶。。ね^^^;。。