彼が初めて肝性脳症になったのは、
2009年10月私の誕生日の二日前の月曜日。
PBCの診断の前でした。
前日の夜、ワインで乾杯して、美味しくお肉を頂き、
大河ドラマを見て、少し酔っぱらったかな?
なんか変だな?
って言いながら早めに就寝。
明け方、ベットの中で、なんか変だな?を連発。
トイレに起きたのですが、戻ってこない。
あれ?まだ起きるには早いよ~と思い、下に降りたら、
階段の途中に立ってました。
どおしたの?って問うと「トイレ」って言いながら降りていきました。
向かった先はキッチン。
あれま、まだ酔ってる?そんなに飲んでないでしょう~~?
と、追いかけると、ふらふらしてます。
とりあえず、トイレを済ませ、ベットに戻ったのですが、
今度は時間になっても起きてこない^^;
呼びかけても返事なし。
あらぁ~~?
時々目を開けて、私の顔を見つめ、
「かわいいね!」って・・そんな年じゃないでしょ!(失笑)
こりゃ変だ!と思い、いろいろ質問をしてみました。
総理大臣は誰?って、父が入院した時に聞かれてたのを思い出し、
真似してみました。
すると彼の答えは「さとうえいさく」と自信たっぷり。
救急車を初めて呼びました。同時に娘にも℡。
救急隊員が来たときは、ほぼ昏睡。名前も言えませんでした。
救急車はどこに連れていかれるかわからないのですが、
○○大学病院!お願い!自己免疫性肝炎なの!他じゃダメ!
マメな彼は血液検査等の診療記録をファイルしてあったので、
そのファイルを救急隊員に見せました。
たまたま受け入れてくれたのでラッキーと言えばラッキー。
県外搬送をしていただきました。
救急車には娘に乗ってもらい私は車で追いかけました。
ゆっくり落ち着いて来てねと言われましたが、
高速の右斜線を病院へ向けてシルバー暴走。
まぁ。。その後何回もですが、運転がうまくなった気がします。
(危ないなぁ・・・・今まで無事故で本当に不幸中の幸い状態)
病院では、アミノレバノンの点滴を2パックだったと思います。
徐々に意識が戻って、一安心。
この時は入院することもなく無事帰宅しました。
2009年10月12日
アンモニア60H(9~33)