
フェアレディ 1980年9月
青春マイウェイ
「歌の旅を続けること、それがオレの青春だ!」

長渕 剛

毎週、金曜日の深夜1時になると、長渕剛は一人でマイクにむかう。「オールナイト・ニッポン」(ニッポン放送)のパーソナリティーとして毎週2時間、全国のファンに直接語りかけるためだ。

「若い連中から、たくさんハガキをもらうけど、みんな、オレたちの若いころと全然変わっていないんですよね。若者の悩みっていうのは、やっぱり、だれでも同じようなものなんです。受験の悩みとか、恋の苦しみとか、いろんな悩みをビッシリ書いたハガキが、毎週何千通も送られてきます。どれも、真剣そのものの内容です。そういった心の悩みをオレに打ち明けてくれるってのは本当にうれしいですね。でも、オレは相談事のハガキに対するアドバイスは、しないことにしているんです。年齢的には、みんなより少しは上だから、それなりの人生経験というものはあります。だから、自分の体験をしゃべることはできます。だけど、はっきりいって、それくらいしかできないんですよ。悩みに対して最終的に判断をくだせるのは、本人でしかないんですしね…」

深夜放送というのは、ある意味で、若者の解放区だ。親や教師には絶対に言えない悩みも、パーソナリティーには打ち明けることができる。それだけに、全国各地から送られてくるハガキを、長渕は放送開始の6時間も前に局へ入り、一生懸命に目を通す。

「若い世代の連中と、ラジオを通して会話ができるんだということを知って、深夜放送をやっていて本当によかったと思ってます。なんとなく、つながりを持てない時代でしょ、今は。学校へ行っても、それから親子の間でも…。そんな時代だからこそ、深夜放送という共通の場(時間)を持つことができて、とてもうれしいんです。なんていったらいいのかなあ…今は、刺激のない時代なんです。だから、オレはオレなりに、みんなに刺激を与えたい。24時間というオレの生きてきた体験を通してね。それは深夜放送のときじゃなく、もちろん、うたっているときもそう考えていますけど…。だから、今のオレにとって、オールナイトは、ひとつのステージですね。ハガキを読んでいていつも感じるのは、若者っていうのは、ものすごい可能性をもっているんだから、もっとパワフルに生きてほしいってことです。一時的な挫折感でクヨクヨしたりしないで、いつも打撃的な精神で何事にもむかっていってほしい。人生なんて、カンヅメのカンを転がしていくようなもの、という気持ちを持ってほしいんです、止まりそうになったらまた、自分で転がしてね。オレ自身、今までそうやって生きてきたしね…」

鹿児島県立南高校の1年のときだった。生まれて初めて、生のコンサートを聴いた。吉田拓郎のコンサートだった。彼は拓郎に強烈な印象を受け、それ以来、拓郎に傾倒していった。

「とにかく、拓郎さんのステージを見て、ブッ飛んじゃったんです。それで、とにかく彼の歌をすべてコピーするところから始めて、そのうちに自分かで曲を書くようになりました。初めて書いた曲ですか?『ポケットの中の百円玉』というタイトルで、ポケットの中には百円玉が1個しかなくても、クヨクヨせずに生きていこう…というような内容の歌でしたね」
「うちへ帰ると、ギターばっかり弾いていました。高校2年くらいから、1週間に3~4曲は曲を書くようになりました。ノートに詩を書きとめて、メロディはテープに録音しておくんです。まあ、そんなわけで、勉強のほうはだんだんと…高校に入ったときはクラスで2番だったんですよ。それが卒業するころは中の下といいましょうか…この話は、もうやめたほうがいいな。そのころ、タケシ&ツヨシというグループを結成していて、文化祭で初ステージを踏んだんです。そのとき、2千人以上の客がシーンとなってぼくらの歌を聴いてくれました。それで、ひょっとしたらプロになれるかなと思い始めて…本気で音楽にとりくむようになったんです。」

昭和51年(1976年)ヤマハのポプコンで「巡恋歌」をうたい入賞。2年後、この歌で東芝EMI からデビュー。本格的にプロのシンガーとしてスタートした。今年、春から初夏にかけて、60本近いステージを消化した。彼にとって初めての、本格的なツアーだった。
「オレの歌を聴きにきてくれるファンが、全国各地にいるんだということが実感としてわかりましたね。それに、今回のツアーで、オレの人生において、決して忘れることはできないような、貴重な体験をしたんです。千葉県の松戸でコンサートをやったときでした。オレはよくギターの弦を切るんだけど、『逆流』をうたったときに、3本も切っちゃったんです。それで、しょうがなく、ギターのボディをたたきながらうたいました。
そうしたら、場内のみんなが手拍子でリズムをとってくれるんです。その手拍子に乗って、うたい終えました。うれしかったですね。オレは以前から、うたってるヤツとか聴いてるヤツといった立場を超えて、ひとつのかたまりになれるようなコンサートをやりたい、と思っていたんです。それは松戸で実現した。あの感激は一生忘れないですね。オレはまだまだギター1本でうたっていきます。
たったひとりで歌うってことは、体力的にも精神的にもシンドイけれど、オレ自身が納得できるまでは、今のスタイルで自分の世界を拡げていきたいんです。つまり、まるで絵ハガキを見ているようなキレイごとだらけの歌でなく、自分だけの言葉を持った歌を歌いたいんです。
オレって乗物にとっても弱いんです。だから正直言って移動はきつい。だけど、今回の経験で、オレはもう絶対ステージで歌うことをやめられないって思っています。

それにファンのみんなにも、どうしてオレがギター1本にこだわり続けるのかということをわかってもらいたい。自分の足をつかって、全国をまわって歌っていたい。そうやってこそ、〝本物〟になれるんです。オレの歌の旅はまだ始まったばかり、とにかく汗をめいっぱいかいて、歌い続けていきたいです。それがオレの青春じゃないかナ」