
ジェイジェイ雑誌1989年11月号
クローズアップ 布施博 ふせ ひろし
1958年7月10日生まれ。東京都出身。血液B型
1981年、ミスタースリムカンパニーの舞台でデビュー。1984年、テレビドラマ「昨日、悲別で」(NTV 系)で注目され、以来「ライスカレー」「君が嘘をついた」「ハートに火をつけて!」(フジテレビ系)等の他、数々のテレビドラマに出演。映画では「私をスキーに連れてって」「海へ」(東宝系)「螢」(東宝系)等で好演。若手演技派俳優として、今、最も注目を浴びている男優の一人。

えっ、俺が楽しそうに見える?いやー、もうここんとこ何で役者なんて大変な仕事を選んじゃったんだろうって、毎日寝るまでウジウジ悩みっ放しですよ。20歳くらいまでは『サラリーマンって、毎日決められた時間に縛られて、仕事ノルマもあって、夜はウダウダ酒飲んで何か結構大変そうだな。俺は絶対ああいう仕事はしたくない、楽しい仕事をしたい』なんて思ってたんですけどね。今のサラリーマン見てると、適当に仕事して、自分の時間はしっかりエンジョイしてるって感じで、俺よりずっと楽しそうだもんなー(笑)。でも俺、30年の間、こんな一生懸命、そのことだけを考えて打ち込んだものって、野球と芝居だけのような気がするんですよ。中学ん時はもうマジで『プロの野球選手になりたい!』と、気持ちはすっかり劇面『巨人の星』(アニメ)の星飛雄馬になり切ってましたからね。パンツのゴムで大リーダ養成ギブス作って学校にはめてったりね。するともうそれだけで自分がエライ強くなった気分になってましたよ。

あと荒川の土手を毎日マラソンしたり、『柔道一直線』に出てきた鉄ゲタ真似て、買ってきたゲタをスプレーで黒く塗って学校まで履いていったり。これはさすがに恥ずかしいから正門で靴に履き替えたりしてましたけどね(笑)。でも結局は高校中退して、野球部も辞めちゃったから…。ガキの頃の夢物語ではなくて、30歳の今、本当に今度は覚悟して〝役者〟に取り組んでいこうと思っているんです。今まで何の仕事してもすぐ飽きちゃって長続きしなかった俺が、気づくともう10年役者やってきたわけだから…やっぱり俺に合ってる商売なんでしょうね。だから、ここで、もう頭ン中がガーッて真っ白になるくらい目いっぱい打ち込んで、本当にやったな、って自分で思えるくらいまでいくしかないって思ってるんです。

芝居の内容もね、不良になり切れないどこか心やさしい男たちを題材にしてて、みんなすごくカッコイイ。『ああ、こういう人達と一生楽しくやっていけたなら最高だな!』って。稽古終わると四谷界隈の飲み屋で千円投資で毎晩盛り上がってバカやってね、楽しかったですよー。本当みんな金なかったけど、貧乏を貧乏と思わなかったっていうか─。
俺、今でも車はベンツ欲しいとか全然思わない。そんなことよりも楽しいことが「スリム」にはありましたから。
舞台がない時には出勤時間が自由なサーティ・ワンアイスクリームで「あっいらっしゃいませ」なんてやって金作って。当時時給500円で1か月、目いっぱい働いても6万円くらいにしかならない。ノルマのチケット代払って千円しか残らないなんて時は「これ使うときょう飲みに行けないな」と、足立区の家から新宿の稽古場まで6時間かけて歩いていったりもした。

でも何か心は豊かで、リーゼントに革ジャンでキメて、歩いてる6時間、カッコつけてね。テレビの端役もすごい数、こなしましたよ。一時期台本だけで洋服ダンス全部いっぱいになっちゃった。でも画面よぎる役とかセリフ1行だけ、とか何にも実績になんない仕事ばっかりでしたけど(笑)
あの頃は「んな細かい顔の表情なんて関係ねーよ、勢いだよ、勢い!」って感じで、もうパワーあることが芝居のすべてだと思ってましたから。今でも基本的な考えは変わらないけれど、台本もらった時点から演じる前までずっと
『この役の男はどんな日常を過ごしているのか』という背景から色々考えるようになって、もうヘタすると寝てからも夢ん中で芝居してたりする。

俺は結婚したら相手には家にいてほしい。男がしっかり金を嫁いでくればいいんです。
でも今現在、俺が一番欲しいものは、劇場全体に通る〝声〟。これに尽きますね。後ろまで届く声の他には、もう何もいらない!
20歳の時、劇団「ミスタースリムカンパニー」の舞台を観た。300人も収容すればぎゅうぎゅう詰めになってしまう程の狭い劇場の中、役者達が全力投球で芝居をする。衝撃だった。まるでシャワーを浴びたような汗を流して演じ続けるこの人達といられれば、もうそれだけでいいなが、と思ったのだと言う。