ジェイ・ジェイ雑誌1987年7月号
クローズアップ 名取裕子
1957年生まれ。獅子座、血液AB 型。体当たりの演技が評判の「吉原炎上」は6月13日から東映系の劇場で公開される(1987年)
どんな役でもこなせる存在感のある本格派。
現在の活躍ぶりから見ると、こんなフレーズがピッタリしそう。大学在学中から、女優への道を歩みはじめていた名取裕子さん。いくつものターニング・ポイントを乗り越えてきた余裕と自信が、表情からもうかがえます。
その存在感は人一倍。〝血が濃い〟という表現がぴったりの強い個性の持ち主で、まさに女優が天職と思わせる現在の名取裕子さん。
最新作「吉原炎上」でおいらんに扮した、思いきりのいい演技も評判だ。でも、その名取さんも、何年か前までは、青山学院大学に通っているひとりの女子大生にすぎなかった。現在の迫力からは信じ難いけれど、いわゆるフツーの女子大生をしている時期もあったのだ。
「サークルは広告研究会に入ってました。とくにマスコミに興味があったからじゃなくて、ただ、そのサークルがとってもコンパが多かったから、っていうどうしようもない理由で(笑)
将来は、何かものを創りだす仕事につきたいな、とか、スチュワーデスもいいな、なんて漠然とは考えてきましたけど、どうも大学時代は混沌として、まだ自分自身がはっきりしていなかったと思うんですよね」
そこに舞いこんだのが、三浦友和の相手役を一般公募した〝サラダガール〟コンテスト。大勢の友人断ちと気軽に応募した彼女だったが、なんと優勝。映画「星と嵐」に出演したり、TBS テレビ小説の主演が決まったりと、フツーの女子大生は、一転してまったくフツーでない道を歩みはじめた。
「ラッキーだった、と表現するのが、はためにはいちばんぴったりなのかもしれない。まわりは私よりずっとキレイな女のコばっかりだったし。でもね、なぜだかわからないけど、きっと私が通るんじゃないかな、という不思議な予感は強く感じていたんですね」
子供のころから、これが絶対ほしい!と思うと、必ず手に入ってしまうタイプ。小学校時代のオール5の成績表、中学時代のテニスの優勝カップ、高校時代の文庫本200冊読破など、はたから見ると、えっ⁉️と思うようなことを名取さんは手中にしてきている。
「あれもこれもって器用なタイプじゃないんですけど、何かひとつに集中すると、とにかくとことんまでやっちゃうんですね。一度決めたことに対して、中途半端で終わっちゃうのが、すごく気持ち悪い。〝このお湯、熱いよ〟って他人が注意してくれても、せっかくここまできたんだから、たとえ火傷しても、どのくらい熱いのか体験してみようって、エイッて手を突っこんでしまう性質なんですね」
実はしつこいだけなのかも、本人は笑っているが、とことんまで、という執着心と、もっと先を見たいという冒険心が、彼女にさまざまな転機をもたらしたことは確か。チャンス、ターニング・ポイントというと、棚からボタモチ式に、むこうからかってに歩いてきてくれるもの、と一般には思われがち。でも、自分のほうに、チャンスを呼びたいという強いパワーがなければ、実は何年待ってもやってきてはくれない、と名取さんは語る。
「女子大生から女優へ、清純派女優から生身の女を演じられる女優へと、私にも大きな転機があったとおもうんですよ。でも、その転機のときっていうのは、実は、私のほうでも、何か変わりたい、ひと皮むきたいっていう思いが熟してた時期。そういう自分の強い思いと外からのパワーが、いいタイミングでぶつかって、はじめてチャンスになるんじゃないかな、って思うんです」
しかも、ひとりの人間が自分の手でつかめるものには限りがある。新しいものをつかみたかったら、いままで大切にしていたものを手放さなければいけない場合も多い。
「いままでの自分を変えたい、何か新しい自分を発見したいと思っていても、いざ、ターニング・ポイントに立たされてみると、私自身もかなりグチャグチャと悩みましたね。やりがいのある役には挑戦したい。でも、その役をやるためにはベッド・シーンもあるし、裸にもならなきゃならない。いままで20何年間、保ち続けてきた、羞恥心も捨てなければ、その役はつかめない。決心するまで、やっぱり、ずいぶん迷いましたよ」
結局、羞恥心を持ったカタギの人の部分を捨てて、プロの女優の道を選んだ名取さん。その選択が大正解だったのか失敗だったのか…。答えがでるのは、まだ先のこと。
「でも私は欲張りだから、新しい道を歩かずにはいられない。周囲が決めたとおりのレールを歩いて、〝本当の私は○○だったのかもしれない〟という夢を引きずって生きるより、〝本当の私は○○だから、○○として生きました〟って、胸を張って言える人生を送りたいと思うんです」