
続き 平凡 1976年1月号
初公開 百恵ちゃんぜ~んぶ初めて!

「絶唱」(東宝映画)
役者として完ぺきと折り紙つきのモモエが文芸作品にまたまた挑戦大地主の息子と女中がまわりの反対を押しきって駆け落ちし、まずしいけれどもハッピーな家庭生活を送っていたが、夫は戦地へ…苦労がもとで夫のかえりも待たず、胸をわずらい、死の世界へ旅立っていった薄幸の女を描く。

〝絶唱〟(東宝作品正月封切り)は相手役三浦友和をむかえ11月5日クランクインした ラストシーンの白装束を花嫁姿でやるのと、キスシーンがこの作品の話題だ。

大スターは年末や正月番組にそなえ10月末から
一日が30時間あったら、と欲ばりたくなるものだそうです。睡眠不足の目をまっ赤にテレビ局からテレビ局へ。頑張った百恵は去年実感‼️
したということしもその忙しくなるオープニングに思いもかけない息ぬきができ、幸せなのを連発…。というのは11月24日放映されるNHK 〝さらば蒸気機関車〟の取材で北海道を汽車でのんびり旅。私にとってはバカンスみたいに楽しい旅行でした。と語っていました。

百恵のおヒップがいかに偉大かと話題になった問題のホリプロの運動会のスナップだ。
バレーボール、バドミントンなど抜ぐんの運動神経の彼女なのですが、走り高跳びだけにはまるで自信がないのよといってたけど、そのわけがやっとわかったのだ。1メートルのバーが飛べずダウン「お尻が重いんだね」の声にしょぼ~ん。

ほんとうの花嫁衣装を着られる日は・・・

文芸作品は『絶唱』で三作目になります。台本を読んでみてむずかしいし、描写なんかも繊細で、下手をすると、もの悲しい 物語にならなくなってしまうんじゃないかと、これほど不安な気持ちに落ち込んだのははじめてです。前の舟木一夫さんと、和泉雅子さんの映画も好評だったそうなので、私の映画を見て、前の『絶唱』の方がよかったと言われないようにガンバリます。私にとって勝負作という気持ちでぶつかっていくつもりです。そのためには落ち着いて考えてもみたいし、スタッフの人たちともいろいろ語りあいたいと思っています。

11月にテレビドラマ『赤い疑惑』のお仕事でパリへ行ってきました。パリは東京よりずーっと寒くて震えちゃいました。撮影が忙しくて、パリでショッピングするひまなんてゼンゼンありませんでした。でも何も買わないのは正解なんです。いまパリは品物がとっても高いんですヨ。

このごろ、会う人によくやせたって言われるのだけど、目下のところ体調はきわめて良好。ニンニク料理とハチミツ入り牛乳を毎日飲んでスタミナもバッチリ。百恵は元気どすエー。(笑)

山陰の砂丘のかげに咲いた一輪の恋の花。その花の色は清らかな涙色だった。

三浦友和さんのメモ
昭和27年1月、山梨県生まれ。デパートの配達員、ほか数種の職を経て、1972年『シークレット部隊』でスターに。中学3年からギターを弾きだす。正月映画『絶唱』で山口百恵と共演。

三浦友和さんと仲間たちがコンサート準備のためレッスン中のスタジオを訪れてみた。なにしろテレビ2本(TBS 『赤い疑惑』『ひまわりの詩』)と東宝映画『絶唱』のかけもちでフル回転の三浦さん、レッスンの時間を見つけるのがたーいへんなんです。6月の東京でのコンサートのときには、1か月近くレッスンの期間が取れましたが、今回のコンサート(11月3日、名古屋、12月20日、大阪、12月21日、神戸)の準備は一週間しか取れませんでした。『歌は趣味です。』という彼は、忙しい合間をぬって、コンサートの準備に余念がない。

「トモ(三浦友和さんの愛称)は風邪ひいているみたいだよ。」中に入ると、三浦さんだけが白のセーターに、薄いブルーの放出着という厚着をしてました。「もう一曲やっちゃおう」とそれでもハリキってレッスンを続けているのです。三浦クンの弾いているギターは、アメリカで買ってきたエレキギター、もっか彼の〝恋人〟といったところなんです。
「ボクは役者が本業。歌は趣味です。というよりは、心の安まるのが、ギターを弾き歌うときなんです。それを大切にしたいですね。それにボクが歌手になったら、プロの歌手の方に申し訳ないですよ。」2時間あまりのレッスンが終わった。夜に、メンバーと新宿で飲む約束をして、本日は解散。愛車のフェアレディZで次の仕事場に向かう三浦友和さんでした。