朝ドラ「スカーレット」でジョージさんが娘たちにいつも言う言葉です。
川原家の喜美子は昭和12年ぐらいの生まれだったと思います。
実家父が昭和12年生まれ。
父は5人兄弟の3番目。
小学校の校長だった父親は戦後すぐに亡くなりましたが、長野という「親が食事を抜いてでも子供は学校に行かせろ」というお国柄もあって兄弟全員が高校❨ご機嫌とりが上手な1人は大学まで❩を卒業しました。
昭和9年生まれの実家母は家は裕福❨新潟の大地主❩でしたが、中学を卒業してから姉が先生をやっていた洋裁学校に行き、地元の役場で働いていたと本人から聞いています。
私が生前の母から聞いていたのは
「姉さんが先生をやっていた洋裁学校に行った」
「役場の戸籍係にいて、長兄の子供が生まれた時になかなか出生届を出さないから勝手に名前を届けたが、女の子に付ける名前ではないと父親に怒られた」
「農業の手伝いをしたくないから隣の家の親戚が東京でやっていた食堂で働き始めたが、実家では包丁を持ったことがなかったから何もできなかった」
周りにはまだ高校に行く人があまりいない時代だったのかと勝手に思っていました。
昨日、Twitterにスカーレットの「女に学問は・・・」に関することをツイートしたらTwitterだけの付き合いの従姉妹が、彼女のお母様❨母の姉❩から聞いていたことを教えてくれました。
「文学少女で勉強ができる人だったが、父親❨祖父❩が女に学問はいらないという人だったので高校に行かせてもらえなかった」
「高校に行きたかったので内緒で高校を受験して合格、学校の先生が親に高校に行かせてくださいと頼みに来たが、父親を許さなかった」
男女4人ずつの兄弟だったけれど、女の子は高校には行かれなかったそうです。
お金が無かったわけでもないのに。
私は祖父がそういう考えの人だったとは全然知らなかったので、実家で祖父に会う時に母はどういう気持ちだったんだろうかと。
母が料理も一切できないのに、食堂で働くということで東京に出て来たのは祖父が原因だったのかと。
自分の知らない母親のことを知ったら、お墓参りに行かなければと思いました。

