これまで、「フェミニズム」という言葉や概念に対して、どこか拭いきれない拒否感を抱き続けてきました。
もちろん、性犯罪の存在や、社会に根強く残る性別による固定観念の押し付け、あるいは女性に偏りがちな家事労働の負担など、女性が置かれている立場が非常に苦しいものである、という事実は否定できません。それらの問題意識自体には、私も深く共感しています。
しかし、個人的な経験を振り返ると、私がこれまで生きてきた中で、「女性であるから不利な立場に置かれた」と感じることは、ほとんどありませんでした。これはもしかしたら、時代の変化の恩恵を受けているのかもしれませんし、あるいは単に私がまだ社会の深層を知らないだけなのかもしれない。その可能性は否定できません。
なぜフェミニストの主張に共感できないのか
にもかかわらず、多くのフェミニストが声を大にして主張する内容に対しては、どうにも共感できない部分が残ってしまうのです。その違和感の正体を探るべく、ある人から「敵を知るためにも、まずはフェミニズムをちゃんと勉強してみたら?」とアドバイスを受けました。
確かに、知らずに批判したり、否定したりしている面が大きいのかもしれない。そう思い、意を決して、フェミニズム研究の第一人者である上野千鶴子さんの本を手に取ってみました。
読み進めてみたものの、正直なところ、「うーむ」と唸ってしまう部分が多かったのが現状です。書かれている内容を頭で理解しようとはするのですが、どうもそれが自分の価値観や実体験にストンと**「落とし込むこと」ができませんでした**。特に、「男性は悪であり、女性はかわいそうな存在である」といったニュアンスの主張に対しては、どうにも納得することができなかったのです。
これからの学びと、私自身の立ち位置
この一冊だけで全てを判断するのは早計でしょう。もう少し、様々なフェミニズムに関する本を読んで、多角的な視点からこの概念を勉強してみようと思っています。もしかしたら、私の知らないだけで、より共感できる考え方や、納得できるロジックに出会えるかもしれません。
しかし、現時点での正直な気持ちとしては、たとえ知識を深めたとしても、私が**「フェミニスト」と呼ばれるような立場になることは、たぶんないだろう**と感じています。それは、私が女性が抱える困難に目を背けたいとか、問題を軽視したいということでは決してありません。ただ、既存のフェミニズムの主張のすべてを受け入れるには、私自身の価値観や世界観とはまだ隔たりがある、ということなのだと思います。
今後も、自分の目で見て、肌で感じたことを大切にしながら、この複雑なテーマと向き合っていきたいです。

