
(超長文です。ご了承ください)
上京したのは25年前
桜が咲き始めた平成3年4月1日、広島の本店で採用通知をもらった
4月2日、広島の本店で東京への出向辞令をもらった
出向する26名とともに新幹線に乗り東京へ
東京駅からはお迎えのバスに乗り東京ディズニーランドよろしく、会社の東京研修所がある千葉県船橋市へ(笑)
新幹線に乗れたのが嬉しくてはしゃぎ回り、富士山を見て盛り上がり、初めて走る首都高でビルの多さに興奮したことを思い出す
研修所には1年間ともに過ごす全国から集まった約420名の同期
部屋は6畳+勉強机、そこにふたりで生活する
学ランだった
初めてスーツを着たのは研修所の入校式
全く似合ってない(笑)
七五三のときの子どもよりも
研修生活は楽しかった
高校は男子校だったから女性がいるだけで楽しかった(笑)
よく最後まで試験を落とさずに研修を終えたなと思う
1年間の研修を修了すると、今度は3ヶ月の短期研修
再度全国からシャッフルされたメンバー約600名と職場に配属されるための実践的なもの
研修も全て終わり、6月末には配属
最初の職場は青梅
東京にも山があると知った
3年間田舎でのんびり育てでもらった
その後八王子に転勤
初めて転勤先に赴任した日の緊張を今でも思い出す
23才の春、バイクで事故に遭った
信号無視の車に
瀕死の重傷だった
初めて死を身近に感じた
人生が変わってしまった
こんな突然に予告もなく
でも不思議なことに悲観しなかった
したくなかった
じゃないと23才色々これからというときにこの現実はあまりにも辛過ぎた
動かない体、天井を見るだけの日々
絶対に野球ができるように回復してやると思ってやっていた
幸いなことに下半身不随にならず少しずつ体が動くようになっていった
寝たきりの生活
車椅子の生活
壊れた左膝の手術
リハビリは本当に辛かった
自分の草野球チームに復帰した打席は三振だった(笑)
その後手術を繰り返したけどもう走れる足には戻らなかった
事故の翌年山口県に転勤
転勤は山口、下関、浜田(島根県)、岡山、和光(埼玉県)、西大寺(岡山県)と続き高梁(岡山県)へ
引っ越しは何回したかわからない
岡山に転勤してから本格的にダイビングを始めた
初めて潜ったときに人生観が変わった
こんな素敵な世界があるのかと
自分の存在がちっぽけに感じて色々悩んでることがもったいなく思えた
職場ではいつも浮いていた
頑張っても
部門のためと行動してもひとよがりのワガママだと
仕事でははっきりモノを言う私は組織にとって異端児でありお荷物
パワハラも受けた
ストレスで高血圧になった
耳鳴りも
鼻血が止まらなかったことも
部署も変えられた
やり甲斐のないアルバイトでもできるような仕事ばかり
いつの頃からか仕事を続けられる理由を探すようになった
理不尽な事ばかり
仕事も人事も
自分が動けば何か変わるかもと思って一生懸命頑張った
それは無駄なことだった
大きい組織
自分がしていたことは
ひとりで富士山を動かそうとしていたようなものだった
紙切れ1枚で動く転勤族
やりたくない仕事のために通勤する日々
もう疲れた
職場内での自分の存在価値も感じなくなり
ついに続けられる理由がなくなった
幸いなことに仕事以外で色々な出会いがあり
仕事抜きの付き合いが増えた
その人たちはキラキラしてて楽しそうだった
自分も楽しい日々を過ごしたいと思った
その思いはどんどん大きくなっていった
不思議なもので
楽しいことを考え出したら自分を楽しんでる人たちに触れることが増え
私を認めてくれる人が増え
職場の事をすっかり忘れてしまってた
色々悩んで出た結論
結局自分が今の職場が合ってなかった(笑)
ただそれだけのこと
ならばいつまでも組織にしがみつかず外の世界に出て行こうと決めた
7月10日付をもって25年3ヶ月勤めていた職場を退職しました
後ろ向きの毎日から前に進みます
この先どうなるか不安もあるけど、それよりもワクワクしています
せっかく大きな決断をしたのだから楽しみます
具体的なものが決まったら発表させていただきます
(もちろん写真もダイビングも続けますよ✨)
今まで色々お世話になりました!
今後ともよろしくお願いしますv(^^)v
長文にお付き合いいただきありがとうございました(^^)>