昨日は午後から図書館へ。
借りていた本を返す時にUが
「ここ破れてたよ」と係の人に話し出した。
数ページがそのままとれていた。
修理しておきますねというその人に
「この後この本また借りたい」と伝えている。
係の人がバタつき出した。
修理するのに時間がかかるし、でも応急処置的にやろうかな。でも。うーん。どうしましょ。
周りをキョロキョロ。他の職員も少ないし?
ってな感じだ。
私はこういう時によき母を演じようとする。
「借りるのはまた次にしたら?今すぐ読まなくちゃいけないわけじゃないし。お姉さん困ってるでしょ?他の本でいいじゃん」と。
よき母とは図書館の人に対してだ。
子どもに言い聞かせようとする。
状況を見て察しろといわんばかりに。
でもふと思いとどまって、言葉を飲み込んだ。
「借りるのはまた‥うーんどうしようかねー?」
そしたら、何とかできるよう考えますね
と図書館の人が対応してくれる事に。
ボンドが乾くまで開けずに、読むのは明日の12時以降にしてくださいね。
とメモまでつけてUに渡してくれた。
何ともありがたいことだ。
まだまだ私の中には
迷惑をかけてはいけない、人の時間を奪ってはいけない、手を煩わせてはいけないがある。
人を頼る事はいけないという父の教え。
そして、
この頭には「私なんかのために」が隠れてる。
今回は「Uみたいな子どもなんかのために」。
「なんかのために」
親に面と向かって言われたら悲しいだろうな。
でもそう言ってると同じことだ。
そしてそれは私自身に言っている。
「私なんか」は辞めようと思っていても
無意識に、まだまだ出てくるよなぁ。
そして、子どもに対して
我慢してよ、察してよと思っているのだ。
この後に続くのは
だってそれが普通でしょ。
社会で生きていくには必要だから。
私はずっとそうしてきたのだから。だ。
そう思うと、どこまでいっても自分。
ずっと察してきたから、察するのが当たり前
ずっと我慢してきたから、我慢が普通
いやいやその「普通は」を変えていくんだよ。
ただ純粋に『またすぐ読みたいから借りたい』
ただそれだけの希望すら叶えてあげられなくなるところだった。
誰かが言っていた。
世界は自分を中心に回ってると思えばいいと。
すごく傲慢な考え方だと思ってしまう時があるけれど、そうじゃなくてそれくらい自分の事を大切にしろって事だ。
自分を大切にすると周りからも大切にされる。
周りから大切にされると信じていれば
人に頼る事は悪い事じゃない。
今回の事も、先回りして否定せずに
まずは相手に聞いてみるだけでよかった。
迷惑と私が思えばそう見えてくるけれど
大丈夫と私が思えば人の優しさを感じる出来事に出会える。
自分がどうやって設定するかって事だった。
自分の希望は簡単に叶うのに、それを叶えなくしているのは自分だった。
Uは私に教えてくれている。
そしてふと思い出した。
忙しい中での心遣い。
「すみません、忙しいのに‥‥。ごめんなさい」
昔の私なら謝ってばかりいただろう場面。
そういえば今回は
「ありがとうございます!」って言ってたわ。
意識せずに言えていたその変化に
なんか嬉しくなった。