むらさき音符いつも応援いただき、ありがとうございます。

初めましての方のために、治療経過を簡単にご紹介します。

  • 2019年2月「すい臓がん・延命治療のみ」の宣告
  • 2019年3月~ 抗がん剤右矢印手術右矢印抗がん剤
  • 2020年8月~ 治療完了・経過観察

当ブログでは、 治療と日々の出来事をメモとしてゆる~く綴っています。

また、治療経過の詳細は、別ブログ『チコがん日記でまとめています。音符

 

 

 

 

こんにちは ニコ



今日は、がんとは関係がないですが、地震について書きます。



最近、大きな地震がありましたね。汗


先日、311日、東日本大震災から11年目を迎えたと思っていた矢先、また地震。



ちょうど地震のあった地域に住んでいたブロ友さん(と勝手に私が思っているだけあせる)のブログ投稿を拝見し、


被災された地域の方々の気持ちを思うと、涙がこぼれてきました。


ショボーン




そして、そのことが、当時の私の記憶を掘り起こし・・


私の場合、東京での経験ですが、書いてみようと思います。


本当に大変な思いをされている被災地に住んでいなかった私が書くのもどうかな?


とも思ったのですが、これも一つのメモとして残そうと思います。





会議中に突然激しい揺れが


当時、お台場にあるビルの22階で働いていました。


ちょうど会議をしている最中の、突然の激しい揺れ。




参加者は、椅子に座ってられず、皆んな床に座り込みました。


会議室に閉じ込められてしまうことを恐れ


参加者の1人が床を這いながらドアまで向かい、扉を開けてくれました。





チームメンバーの心配


当時私のチームには10人ほどのメンバーがいたのですが、大半がインド・アメリカ・カナダなどの外国人で、そのうち半数がインド人でした。



激しい揺れで床に伏せながら、最初に頭に浮かんだのが、彼らのことでした。



というのも、ちょうど地震の少し前のランチのとき


「日本は地震が多いから怖い。インドで地震があればすぐに建物の外に飛び出るよ。建物がすぐに倒壊するからね」



という話を聞いていたからです。




・・・



「彼らがもしビルの外に安易に飛び出してしまっては危険」



と思い、私は何とか会議室を出て、自分のチームエリアに駆けつけました。






皆んないなくなっていた


私たちチームのデスクエリアに着くと


そこは案の定、もぬけの殻・・




なんと



彼らの財布も携帯もぜーんぶ机に置かれたままの状態で


1人いなくなっていたのです。



(まるでコメディのような、自由人の集まった私のチームらしい・・おーっ! と、少し笑えもしましたが・・あせる





「多分、一目散に逃げたんだ。恐怖に怯えているに違いない・・汗



と思い、揺れが少しおさまったタイミングで


(エレベーターは使用禁止のため)非常階段を使い、1階まで降りてみました。




しかしそこにもチームメンバーは、いませんでした。真顔


彼らの携帯は机の上なので連絡も取れず・・




途方に暮れていたところ、メンバーの1人が戻ってきてくれました。



「みんな大丈夫だよ!心配しないで」


他のメンバーは、とりあえずバスに乗って家の方へ戻ったとのこと。



すこし安心しました。




東京湾の津波と、信じられないテレビの映像


メンバーの無事を聞き、オフィスに戻りホッとしたのもつかの間、辺りを見渡すと



近くのビルでは火災がおき黒煙があがり ドンッ


窓からは、東京湾の津波が押し寄せてくる様子が見えました。


1mほどの高さに見えましたが、東京湾に津波がくるの?!と驚きました。アセアセ




そして、テレビに目をやると、そこには信じられない被災地の光景が・・



これは、現実なの?!?夢??


そんな言葉を、頭の中で何度も繰り返していたように思います。





一晩かけ会社から自宅まで徒歩で帰宅


少し落ち着いてきたところで、会社に残る人と、帰宅をする人にわかれて行動しました。



私は、戻ってきてくれたメンバー、他のチームの人たち、上司と一緒に帰路につくことに。DASH!




しかし、オフィスからの電車やバスは止まっており、交通手段がありません。


仕方なく、電車が走っているだろう所まで歩いて行きました。




3月でも夜は寒く、途中レインボーブリッジを渡るとき


徒歩で歩くには風が強すぎ、凍えそうに感じたことを記憶しています。台風



休み休み歩き、明け方になってようやく電車に乗ることができました。




電車は、ホームも車内も、足の踏み場もないほどの混雑。電車


ドミノ倒しで人がホームから落ちてしまいそうなほど、危険な状態でした。



これまで経験がないほどの混雑ぶりに、心から恐怖を感じました。




ようやく家に帰れるも、次の日からが大変だった


朝になり、やっと自宅にたどり着けましたが・・


この日から、まあいろいろ大変でした。



生活では、水や食料。とくに水が手に入らず


会社の近くで水を買っては、自宅に持ち帰っていました。



仕事では、一時は私のチームも担当していたプロジェクトもバラバラになりそうでしたが


なんとか乗り切れました。



でも、なにより命があってよかった。





被災地では


被災地では、もっともっともっと大変で、多くの命がうばわれ、


いま思い出しても悲しく心が痛みます。






今日も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。合格

 

 

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