決めるということ。
決めるってことは、
誰のせいにもしないということなんだな
と、ふっ…と思いました。
そこから、
【決める】というのは
今までの経験からの体験と
そこからくる判断と…
そして、
お任せした結果を受け取る覚悟。
そこからのまた、判断と決断。
その繰り返しなんだなと腑に落ちた
わたしのはなし。
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高校卒業して社会人をしていたのだけど、
『あ!わたし包帯まくの好きやった!!!』
『あ!わたし包帯まくの好きやっ
とおもいだしてしまったわたし。
看護学校にいくことを決めます。
そういうときって
数学とか、英語とかって
目の前のことを真剣にやって
回答しただけなのだけど、
あってるのか、
あってないのかも
合格しちゃうものですね( ̄▽ ̄)
迷っていないときっていうのは
神がかりなことが起きますね。
そんでもって国家試験も合格して
看護師として働くわけですが、
包帯まくとかって
世界じゃないわけですよ。
知ってる先輩のいる整形外科を
第一希望でだしたのに、
消化器外科
なんてかいちゃったものだから、
外科病棟になっちゃって…。
毎日命との対面です。
そして、元気になるのをお手伝い
『人って…死んで行くんだな…』
わたしが、新人だから
観るところや、
ケアがたりないのか
先輩だったら、もっと長生きできたのではないか…など
思うわけです。
先輩だったら、もっと長生きでき
思うわけです。
思わず、ベテランナースに
ぶちまけて…
なんで、死ぬんだ?
どこみたら、いいんだ?
やらなきゃいけないことあったら
教えてください
なんて、必死でききましたね。
そしたら、
その方の命は決まってたんだと思うっ
誰のせいでもないよって
言うから。
もう、関わった目の前の人に対し
精一杯させてもらうしかないんだ
異常時の指示ってのがあるんだけ
できるだけ、
投与とかそーいうの
命にかかわってるってこと
覚悟決めて、
やるか、やらないかを
判断すること。
すべて自分の責任でやるって
決めた。
生きるか死ぬか。
そんな紙一重のとこにいて
決めるとか
判断とか、
その後の予想とか
経過を見るとか
その結果を、タダシクミテ
そして、それをみていく。
きめるってことは、
いいとか、わるいとか
結果を気に囚われないで
なるようになった結果を受け止め
どんな結果も
わたしが責任をとるという
覚悟
自分が決めたことだから、
すべて、
わたしの責任と肚をくくって
結果を待つということ。
決めるということは、
わたし(が)の、我が消えるというこ
だと思った。
そして、
人はなかなか決め切れないんだな
いうこと。
自分の発言で失敗することを
避けているんだなということも感
決めるってことは
そこからの状況、環境も
つくっていくものだと感じた。
夢を叶える方法とか
自分らしくなる⚪️⚪️とか
人生を変える⚪️⚪️とか
思い通りになるメゾットとか
自分の声を聞く⚪️⚪️とか
なんとか、かんとか…
その時一瞬の、解放のいろいろあ
そこだけ、行った時だけじゃなく
日常で、
つね、日頃、
そういったことは、できることで
そういったことは、できることで
『決める』ってことを
真剣にしたなら、
夢は叶うし
思い通りだし、
なりたい自分になんて毎日なれる
わたしは
命がかかっているという
瞬間、瞬間の状況で
決め切ってきたから
決め切ってきたから
『決めて、動く』ということは
もう染み付いていたんだなと
気づいた。
方法を聞くことではなく
もう、やっていって
そうやって、感じていくことだ。
この決め方は、流れていく
この決め方は、イマイチ
この決め方は、前人未到って
決めて行ったら
思い通りになるんだよ。
思い通りになるんだよ。
肚からね、感じたことを
決めて行く
だから、
自分の世界しかないんだね。
縁(円)が満ちて、円満な世界。