パニック妻 パニックmama の奮闘記 -107ページ目

パニック妻 パニックmama の奮闘記

パニック障害から20年。妻になり、10歳と6歳のママになる。格闘人生をいつか ゆっくり じんわりと書いていきたい・・・。書くのも怖いのよ。
ひとまず、安らぎの『庭いじり』や、『癒しの空間造り』を日記がてら書くことから始めてみようと思います。

当時28歳。パニック発作もだいぶ落ち着いていたので、安定剤は御守り代りに持っている程度だった。

初めての妊娠が分かった。待ちに待った妊娠💕すごく嬉しいはずなのに、恐怖感に襲われる。私なんかが産めるのだろうか。
病院はどこにする? 恐怖心の強い私は、いざという時に無痛分娩も可能な病院を選ぶ?それとも、いざという時にすぐ行くことのできる、近くの病院へ行く?右足股関節が立ち仕事の関係上すごく痛くなることがあるけど、大丈夫かな? いざ、発作が起きた時に、薬って飲めないんだよねぇ??

いっぱい いっぱい 不安だった。

とにかく、一度近くの病院で、妊娠のチェックをしてもらおう! 1人で行くことにした。たまたま周りの妊婦さんは夫婦で来ている人たちばかりだった。孤独。怖い。

『〇〇さーん!!』呼ばれた。私は、足のこと、20歳の頃から薬を服用している事を話した。心配事も話した。

その時返ってきた先生の言葉は本当に冷たかった・・・。

『こんな若くしてこんな薬を飲んで、本当に産む気があるの??産む気があるとは思えないんだけどね。とりあえず、安定剤処方されている病院の先生に相談してみたら?それより、先に足もどうにかしてきて。』・・・でした。
『安定剤=産む気がない』そう思っているように捉えました。安定剤について、ことごとく反論を言われました。

私わね、今は落ち着いているから、滅多に飲まないのよ。御守り代りに持っているだけなんだから。だからね、せめて『大丈夫だよ。必要な時には言ってね。出来るだけ飲まないでも大丈夫なように、トライしてみよっ!』そうやって言ってもらってたとしたら、きっと安心して、薬がなくたって大丈夫!!って思えた気がするよ。

けど違った。恐怖の壁に囲まれて、身動きが取れなくなった。いきなり激しい吐き気に襲われた。
そのまま姉に、形成外科へ連れていってもらった。形成外科の先生の初めの一言が、『んで?何しに来たの?妊娠していてレントゲンもとれないのに、何がしたいの?』でした。あんまりです。

続いて、安定剤を処方してくれていた病院まで送ってもらい、相談した。『大丈夫なんだよ!お母さんが一番リラックスできることが一番なんどからね。』温かい言葉に一瞬救われた。涙が出た。

たくさんのストレスに囲まれ、産婦人科も別の病院へ変わるか悩んだ。安定剤、パニック発作に理解してもらえる病院へ行くべきか。

そんな心がはちきれそうな時、旦那の飲み会の予定が入った。私はついに、泣きながら『行かないで!今だけは行かないで!!』と言ってしまった。それとともに、過呼吸に襲われた。

しばらくして・・・出血した。

別の産婦人科で見てもらった。まだ赤ちゃんは元気だった。少しホッとした。不安を先生にぶつけてみたけど、受け入れてくれた。ここで産もう!!そう思った。
私はここでママになる!この先生についていけば、私だってきっとママになれる!!やっとそう思えた。

でも遅かった。ストレスの壁はあまりに重くのしかかっていたんだね。
心臓がピクピク動いていた私の赤ちゃん。
エコーを見て、自分でもすぐにわかったよ。あなたがお空に行ってしまったことを。苦しかったね。体を丸めて気持ちよくママのお腹の中で寝ていたのに、苦しかったね。私には、丸まっていたあなたが、苦しさにまけて、大の字に横たわっているように見えたんだ。本当にゴメンね。