東北地方の惨状にただ立ちすくんでいます。
記憶の片隅に押し込んでいた半世紀も前の海への恐怖がよみがえってしまいました。
急に沖に向かって引いていく海水、信じられない速さで家に襲いかかってくる海。
台風の時に浸水してくるのんびりした海とは別の生き物でした。
家が激しく揺すぶられて、倒れそうになった時、
「一人になったも、生き延びろ」と言う父の言葉。
幸いにも、家は持ちこたえてくれて、家族は全員命を落とさずに済みました。
でも、小学校が再開され、友人の机に本人ではなく、牛乳瓶に入った花が置かれていた映像がいつまでも忘れられません。
今、映像で、一人ぼっちになり、家族を探し求める人々の姿に
父に「一人になったも、生き延びろ」と言われた時、
「一人ぼっちになるのなら、一緒に死んだ方がいい」と言って叱られた自分につながり、
家族全員に会えなくても、たとえ一人でも家族と巡り合ってと祈るだけです。
当時は報道もかなり不正確で、私たちの町は壊滅と伝えられて、遠方から駆けつけてくれた知人は、食糧でなく、手向けの水だけ持って来ました。
実際は町民はほとんど生き延びました。
私の遭遇した災害とは大きさは全く違いますが、不明と思われている人々が一人でも多く生き延びておられることを信じお祈り致します。
海が引いていっても、当初は大人達も絶望感とこれからどうしたらいいかという話ばかりでしたが自衛隊の隊員さんが来てくれた時から、町に命が戻ってきました。
あっという間に二階まで上がってくる水。