東北地方の惨状にただ立ちすくんでいます。


記憶の片隅に押し込んでいた半世紀も前の海への恐怖がよみがえってしまいました。


急に沖に向かって引いていく海水、信じられない速さで家に襲いかかってくる海。


台風の時に浸水してくるのんびりした海とは別の生き物でした。


家が激しく揺すぶられて、倒れそうになった時、


「一人になったも、生き延びろ」と言う父の言葉。


幸いにも、家は持ちこたえてくれて、家族は全員命を落とさずに済みました。

でも、小学校が再開され、友人の机に本人ではなく、牛乳瓶に入った花が置かれていた映像がいつまでも忘れられません。


今、映像で、一人ぼっちになり、家族を探し求める人々の姿に

父に「一人になったも、生き延びろ」と言われた時、

「一人ぼっちになるのなら、一緒に死んだ方がいい」と言って叱られた自分につながり、


家族全員に会えなくても、たとえ一人でも家族と巡り合ってと祈るだけです。

当時は報道もかなり不正確で、私たちの町は壊滅と伝えられて、遠方から駆けつけてくれた知人は、食糧でなく、手向けの水だけ持って来ました。

実際は町民はほとんど生き延びました。


私の遭遇した災害とは大きさは全く違いますが、不明と思われている人々が一人でも多く生き延びておられることを信じお祈り致します。



海が引いていっても、当初は大人達も絶望感とこれからどうしたらいいかという話ばかりでしたが自衛隊の隊員さんが来てくれた時から、町に命が戻ってきました。






あっという間に二階まで上がってくる水。

昨日は我が4歳児の友人の弟の2歳の誕生日。


さすが我が友の弟、いい感じに育っているなんて思っていたら、友の母君が、幼稚園で先生から「注意を受ける時、目がきょろきょろしています。先生の話を最後まで聞かないで作業を始める。お家でも注意してください。」って言われてしまったと、話しだしました。


親愛なるかつ自慢の4歳児の友人に、何を難癖つけるんや、私なんぞ、この年になっても、夫から注意を受ける時、頭は空を飛んでるぞ、どこに、嫌なこと言われる時、拒否反応示さない人間がおるんじゃ。先生あなたは、上司から叱られる時、あなたの言われることは、とても素晴らしい。なんて思えるのかい。

なんて思ってしまいました。


叱ると指導をする、やる方もやられる方も境界線難しいものです。

自分が、批判や非難をされていると受け止めるか、自分にとってプラスになることを言ってもらっていると受け止めるか、

受ける方に指導と思わせることは、指導する側のテクニックと成熟度ではありませんか。


と先生に言いに行こうとしましたが、




さすがに、幼稚園に乗り込みはしませんでした。


行っていたら、モンスター近所のおばさんって言われたのかしら。


今度我が友に会ったら、自分にとって楽しくないことでも、聞いておけば得になることも、一杯ある話をしてみます。

ブログを書くのもエネルギーがいるなって気持ちです。

気持ちのコントロールがいまいちの時が続いていましたが、久しぶりに、娘がまつ毛エクステをしてくれました。

わーーーーーー、別人。

長い間、へこんでいたのが嘘のように思えます。

ストレスがある時は、おしゃれして、変身が最高の薬かも。


やたら、元気がでてきました。

この調子を継続していきます。できるかな?