このイラスト凄い
ハエが飛んでいるし何か臭気的なサインも出ている
食器洗剤のボトルが青くキャップが黄色いのがまた不気味で痺れる
私は今確かに面倒くさい気分だが台所はこんなにはなってない
ここまでではないが確かに面倒くさい。
今日は仕事が休みでウォーキングに出る予定なのだが雨が降ってるので行きたくない。
先日、中途半端に時間が空いたので横浜駅をいつもと違うコースで歩き回ったが、横浜駅周辺エリアも広くなり歩きすぎてしまって脱肛した。
翌朝は関節のこわばりと腫れが手足に出て数日治らず久しぶりに鎮痛剤を使って通勤。
息子に持病があるんだから少しずつ毎日動いていれば筋肉ができるからと諭された。
ウォーキングで骨盤底筋て鍛えられのかは疑問だけど歩くと気分が良いのは確か。
横浜駅ビルから東口を眺めるとスカイビルが見えて子どもの頃の記憶が蘇る
お決まりの思い出話だが
昔はスカイビルの最上階が回るレストランだった。家族で食べに来たことがある。電車の様に景色が流れるのを期待していたらほとんど気がつかないくらいゆっくりと回り大人たちは食事しながら「ああ、◯◯が見えてきた」等と楽しそうだったが私はつまらなかった。
確かスカイビルには室内温水プールがあったと思うが他の建物だったかもしれない。小学校の友達数人と歩いて良く泳ぎに来た。でもドライヤーはない時代で帰りは濡れた髪が冷たかったな。子どもは元気で帰路の神奈川公園で更に遊び公園横の道で友達のお母さんが夕方からオデンの屋台を出していたので皆で食べて帰った。
考えてみれば横浜駅はすっかり変わってしまい若い頃同僚と仕事帰りにルミネでご飯食べてお喋りしたが今は目を閉じて当時の姿を思い浮かべるのみ
それでもまだ再開発が終わらない。
横浜の綿花町はコットンハーバーと呼ばれ浜町の運河も埋め立てられ子供時代に遊び回った町の姿が消えて行くのは時代の流れで仕方がないが淋しさもある。
みなとみらいが出来てからどんどん遠くなってしまった。
でも少しはゴージャスになったから良かったんだよと息子は言う
私の子ども時代は工場排水で港の水は臭くて汚かった
母の子ども時代はまだ泳げていたが市場の船が入って賑やかだったとのこと
祖母の子ども時代はお友達と浜辺で泳いではナマコを捕まえて手でさいて海水で洗いオヤツに食べていたと聞いてヒビッた
祖母の時代は明治後期だからそんな感じ
町は再開発で若返ってゆくが私は老けてゆく
まさか骨盤底筋に悩まされるようになるとは思ってなかったな