大昔のイギリス滞在中の初めてのクリスマス休暇、その時私はまだ英語学校の生徒だった。


私は下宿生活をしていたけど大学生の兄貴が高校の後輩を5人連れて来て一緒に休暇を過ごすことになり町外れの古い家を借りた。


この中には後輩のガールフレンドもいて何でもとても裕福だというイラン人だった。


私はクリスマス当日だけ下宿で過ごしそれ以外は兄貴たちのいるこの一軒家に入り浸って和食を作ったりゲームしたり休暇を満喫していた。


しかし、その当時は丁度イランとイラクの戦争が激化していたのでテレビのニュースでも毎日爆撃の様子などが流れていた。


若いというのは残酷というか馬鹿というか誰もイラン人の女の子の気持ちにまで深く気づかずニュースにはお構い無しで遊びほうけていた。


居間のテレビでニュースが流れるといつも彼女は誰にも気づかれない様に抜け出してどこかへいった。


やがて皆もそれに慣れちゃった。


そんなある日、やはりニュースの後に女の子は居間を出ていったが兄貴が私のそばに来てあの娘が泣いてたぞとささやいた。


おまえ、行ってやれ、あの子は戦争のせいで休暇に帰国できないんだと言った。


行ってやれと言われてもその時の私の英語力は喋らない方がましレベルだったので慰めるなんて荷が重く、いや、1人で居たいんじゃない?と抵抗してみた。


「1人で泣きたい人間なんかいるか」と兄貴に言われて


もう何を言ったらいいんだと困り果てつつ彼女の部屋をノックして開けたらベッドに突っ伏していた。


名前を呼ぶと涙で濡れた顔をこちらに向けたので


なんと私は言葉に詰まりただ拳を握ってガッツポーズしてみせた。


なんという間抜けか!


彼女はそんな私の間抜けな態度も理解してくれて、涙を拭きながらあははと笑って大丈夫、心配ないと言ってくれた。


本当は私じゃなくて兄貴に言われて行っただけなのにそれからは彼女は英語の出来ない私のそばに笑顔でいてくれるようになった。


彼女は梅干しが大好きでイランのお菓子に似ているってパクリと口に入れてモグモグ食べちゃったり私がイランのアイドルに似ているとかそんな事を言ってくれた。


休暇が終わってからも何回か彼女にあったけどいつも走り寄っては再会を喜んでくれた。


彼女のボーイフレンドが

あの時はありがとう、とても喜んでいたよ

と言ってくれたけどかえすがえすもあれは私ではなく兄貴に言われてしたことなんだ。


「1人で泣きたい人間なんかいるか?」

という熱い男の兄貴を私はやっぱりカッコいいと思った。


しかし、今の私は泣くときは1人ですしその方が楽なのはなぜだろう


彼女はあれからどうしているだろう。元気にしているだろうか。


彼女の名前はペルシャ語ですみれを意味するのだった