たびたびこんにちは。桂木里紗です。
きょうは、地元の教会のミサは欠席したのですが、聖書の入門講座には行くことができました。
きょうから待降節(イエス・キリストの誕生を待つ日々)が始まるので、そのお話から伺うことができました。
入門講座には、結構男性の姿も多く、みな真摯に受講していました。
今日(11月27日)から、待降節第一の主日となります。ラテン語では、アドヴェントと言います。12月24日の晩までがその期間です。
キリスト教では、イースターもとても重要なお祝い事となり、その前の4週間を四旬節とよびます。
イエス・キリストの生涯を一年かけて追い続けるのが、教会の役目になっています。歴史を貫く風土記とも言えます。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」
というイエス・キリストの言葉に思うこと。
それは、「神の国とはなにか?」という問いにもつながっていきます。
「神の国」とはなにか?というテーマで、今日の講座は進められました。それは、国というより、価値観が優先される「支配」のことを指すと言えます。無限の愛によって、神の価値観によって支配されている、と考えるべきだとも、シスターは言いました。「契約」とは、お互いに関わりを大切にしていこう、という考え方を言います。
○イスラエル人は、みなそれぞれの王を信じている。サウル王しかり、ダビデ王しかり、ソロモン王しかり。
○イスラエルは、もともと小さな国なので、エジプトやアッシリア、ペルシャなどの侵攻を受けていた。
○メシア(救い主)の待望が、イエス・キリストの誕生直前にイスラエル人には、待たれていた。
○しかし、ファリサイ派の人達が、ダビデ家から、理想のメシア王がたち、律法をまもることで、政治的な神政国家ができると考えられてきた。
○一般庶民は、圧政と貧困に苦しんでいたので、平和と正義が実現することを望んでいた。
マルコによる福音。1-14.15
○イエスを生んだ、ガリラヤは、貧しい地域だった。
○イエスは弟子たちを集めた。
○イエスは人々と出会い、病んでいる人たちを癒やした。
○朝早く起きて、皆のためにイエス・キリストは祈った。教える事と、癒やすことで、神の国を示した。
○「イエス・キリストと共にあること。神の国は、あなた方の間にあるのだ」
と、聖書には書かれています。
意味はよくわからないけれど、子供のころから慣れ親しんだ新約聖書のお話で、すんなりと聴くことができました。私が安心したように、メモをとっていると、シスターが、「チコさん、だいぶ元気になったわね(^^)/」とお声掛けくださいました。受講して初めのころ、旧約聖書の講義だったので、ちょっと難しくて私が頭を抱えていたのを、覚えていらしたみたいです(笑)
やっぱり、イエスさまが残された、新約聖書のほうが、私は好きだなぁ(^_-)-☆たとえ話が多くて、分かりやすいし、何よりも、病んでいる人、悲しみに暮れている人を、イエスがひとつひとつ丁寧に癒していく姿勢が、今の日本に欠けていると思うのです。
ミサは欠席してしまったけれど、今日の入門講座はとても実り多き時間となりました。
神さまに感謝します!
チコ@リサ(桂木里紗)のmy Pick