ずっと書けないでいたけれど、毎年迎えるその日に、今年こそはと思って何年も経った。
ら、ついに今朝きっかけを見つけた。
多くの女性たちの想いをコラムによって昇華させていった作家ちぇる氏。
誰も出入りできなかった、核になる部分の入り口をじんわりにじませて、混濁した部分を自らの手で徐々に塗り替えさせてくれるような、そんな作品たち。
ちぇるさんの昇華のときがきたのかな。
コラムによって応援してもらったみんなで、ちぇるさんに愛を送りたい気分だ。


過去にちぇるさんによんでもらったコラムの中の登場人物が、亡き今も愛してやまない祖母だと気づいたのは、コラムを貰ってしばらくしてからのこと。
このとき、コラムを書いてもらったことのあるひと達がたまたま集まり、コラムの登場人物は誰かについて談議していた。

祖母がこの世に居なくなってから、私は空を眺めるのが日課になっていた。

家族のなかで1番フィーリングがあった祖母とは一緒に住んでいたこともあり、子供のころからいつも一緒にいた。
なぜか、祖母がお母さんで母が歳の離れたお姉さん、という感覚がある。ついでに妹ちゃんは自分の子供、のような存在だ。

お花を育てるのが好きなのは、ガーデンを好んでいた祖母の影響かもしれない。
大正から昭和の最後の年を生きていたので、激動の時代も長く過ごしていたのだろう。
子供の頃にたまに聞く戦争の話では、自ら戦地に行った兄弟のことや好きなひとと生き別れたことを話していた。

子供の頃、いつの日か私より先に祖母がいなくなると思うと、その日が怖くて仕方なかった。
もうそんなに長くは一緒にいられないことを理解すると、亡くなった後もどこかで存在を感じていたいと願った。

『私が居なくなったら生花をあげてね』
という約束を思い出し、その日庭に咲いていた青と紫の紫陽花を、たくさん祖母の周りに並べた。
もう、返事の聞けない贈りもの。


霊感とはよくうつるもので、そういうカンが強いひとと一緒にいることが多くなると、同じものを見られるようになる。
祖母と何度も夢のなかで会い、話すことができた。初めて夢に出てきたときは、生前の続きを見ているようでとても感動した。

最近では、色々なことができるようになってきて、そのひとの家族からのメッセージ、病気の場所、ヒーリング。
その中で、自分が地球に生まれてきた瞬間を見ることがあった。
宇宙から、白い光が一直線に地球に向かっていくのを。
宇宙はホームで、白い光が自分。
あの瞬間は、産まれるときだろうか。存在として認識できたときだろうか。


地球は、ワクワクする場所で、それを味わいに。
希望しか持たずに、私たちは地球に降りたった。
それを味わうには、良い時代になったんだ。
まずは、あなたの安寧の場所を。


我が家にも、間もなく新しい命が産まれる。