「車」はものなのかについて。
いや、どう考えたってものでしょ だって触れるし見えるし・・・
っていうのが素直な意見でしょう
でもパーツを分解してみればわかるけど
そこにはもう「車」の姿はなくなって
構成要素である部品たちだけになる
バラバラにしただけなのに、そこには「車」と呼べるものはなくなる
でもまたそれらを組み合わせると、不思議なことにまた「車」は現れる
「車」とは何か。
各部品を組み合わせることにより
アクセルを踏むと進む「機能」(または「システム」とか)が生まれる
部品が違うものであっても同じ「機能」をもつものは「車」と呼べる
では「機能」はものか。
もちろん違う
「機能」の絵を描いてくださいと言われて描ける人なんているわけない
いくら描けるよと主張したって、他の描けるひとのそれと同じにはならないだろう
その2つを第三者に見せて、何の絵でしょうと聞いたところで
まさか「機能の絵です」なんて答える筈もない
部品を構成することにより新たに生まれた「機能」に対して
人間が便宜的に「車」という名前を付けた
ただそれだけ
問題なのは、この考え方でいくと「もの」とはなにかがわからなくなる。
身の回りにある全ての「もの」と認識していたものが
なんらかの構成要素により成り立っている「機能」であることがわかる
「コップ」ひとつ採ってみても
各物質があの形になって液体を入れて飲むことができる容器であり
容器は飲むこととか保存だとかの機能をもつ
それらを構成している物質だって分解していけば
分子だの原子だの原子核だのクォークだの
いくらでも分解可能だ(100%素粒子の可能性は否めないけど)
まあ何が言いたいかっていうと
所詮この世の中なにもかも人間が便宜的に名前を作ってるだけ
それが「言葉」の本当の「機能」だってことの再確認
ただそれだけ